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「容疑者Xの献身」を見てきた
2008年11月04日 火曜日
映画「容疑者Xの献身」を見てきた。
ジャーナリストの日垣隆さんが、個人メルマガで「今年最高の傑作映画」と紹介していた映画。
映像の撮り方とかセリフの選び方とかがうまくて、そのうまさにいちいち興奮させられた。
決して「泣ける」映画ではなかったのだが、一か所だけ、泣けてしょうがなかったところがあった。
それは数学教師・石神が留置場に寝かされているシーンで、天井についたシミの点々が、石神の空想の中でチョークの線で結ばれて、数学上の「四色問題」を表す図になっていくところ。
学問に取り憑かれた人間の悲しさが(ストーリー上はそういう位置づけではなかったけど)、あのシーンにはありありと表現されていた。
抽象的な概念に魂を奪われた人間は、日常接するあらゆる事象を、抽象的な概念の問題として見てしまう。
その問題のしかたは、日常生活において問題にされるべきしかたとは、いつも大きくズレている。
天井に付いたシミは、日常生活においては、その位置関係において問題にされるべき性質のものではない。
「その程度や量が許容される範囲か」とか、「除去するとすればどのような方法で除去するべきか」といった観点でのみ、問題にされるべき性質のものだ。
そんなシミが、数学上の問題を構成する要素として見えてしまう。
そういう「周囲の人間とのズレ」が、生活のすみずみにわたって、24時間365日、死ぬまで生じ続ける人間の悲しさが、同じ種類の人間として身につまされてしょうがなかったのだ。
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