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相手の能力が自分よりも低く思えたとき
2009年01月08日 木曜日
佐々木が通っていた大学に、森毅(もり つよし)という数学の先生がいた。
マスコミにもよく登場していた方だから、顔を見たことがある人も多いだろう。
佐々木は大学一回生のとき、この先生の、大学教官としての最後の年の数学史の講義を受けることができた。
たいへん雑談の多い講義というか、雑談の合間に、ときどき数学史の話が出るような講義だった。
一度、講義の中で先生がふと、次のよう意味のことをおっしゃったことがあった。
「自分より優れた人間から学ぶというのは、平凡な人間だってできることだ。自分より劣った人間から学ぶには、ちょっと高級な能力が必要だ」
数学史についてはほとんどすべてと言っていいくらい忘れてしまったのに、この教えだけは、妙に佐々木の頭に残った。
むしろ年を経るごとに、この教えの重要性は佐々木の中で増してきている。
なぜ、「自分より劣った」人間から学ぶことが大切なのか?
佐々木の考えでは、その理由は三つある。
一つ目。
「相手が自分より劣っている」というのは、端的には、「自分ができることが相手にはできない」ということだ。
何かが「できない」ことの構造をよく調べてみると、何かが「できる」ことの構造が、より鮮明に理解できることがある。
自分がなぜ「できる」のか理解することは、さらに「できる」ようになるために、とても役立つ。
二つ目。
人があることを「できない」のは、より困難で、より時間がかかる方法でやろうとしているせいであることが、しばしばある。
注意しなければならないのは、より容易で、より速くできる方法が、必ずしもよい方法とは限らないことだ。
より容易で、より速くできる方法には、必ずその方法なりのマイナス面がある。
逆に、より困難で、より時間がかかる方法にも、その方法なりのプラス面がある。
条件が変われば、より困難で、より時間がかかる方法のほうが、よいこともあるのだ。
何かが「できない」人が取っている方法をよく調べてみると、自分が気づきもしなかった方法に気づかされたり、自分が取っている方法の思わぬ欠点に気づかされたりすることが、よくある。
三つ目。
「劣っている」とか「優れている」とかいうのは、必ずある尺度に基づいてなされる判断だ。
「相手が自分より劣っている」と思うのは、自分が「優れている」と判断されるような尺度で相手を判断しているからだ。
あるいは、相手の方が「優れている」と判断されるような尺度で自分を判断することを、拒否しているからだ。
「相手が自分より劣っている」と感じたとき、「相手の方が優れている点はないか?」と探してみると、自分を判断するための、新しい尺度を手に入れることができる。
それは自分の成長の幅を広げるために、とても役立つ。
佐々木は自分の能力の低さに日々呻吟している人間だが、それでも、「こいつよりは自分は上だ」と感じてしまうことがよくある。
そんなときはふと、森先生のあの教えが頭に浮かんで、佐々木をして「こいつから学べることを意地でも探してやろう」という気にさせるのだ。
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