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情報収集力を高めるには
2009年01月11日 日曜日
情報量とは驚きの量である。
これは評論家の唐津一(からつ はじめ)さんが『ビジネス難問の解き方―壁を突破する思考』でしている定義だ。
《そもそも情報の価値とは、どういうものなのか。これについて、コンピュータの原理を構築したことで有名なクロード・シャノンやノーベルト・ウィーナーらが体系づけた「情報理論」では、「情報量」という表現を使い、こう説明している。
報告書というものは分厚ければ分厚いほど、多くの情報がつまっていると思いやすいが、その中身がすべて自分の知っていくことばかりだったとしたら、そこから受け取る情報量はゼロに等しい。逆に、たったひとことしか記されていなくても、それが読む人に大きなインパクトを与えることもある。これが「情報量」の定義である。
すなわち、文字の多寡だけでは情報量の大小ははかれない、「受け手が知らなかった内容をどれだけ伝えているか」が、情報量のものさしになるというわけだ。ただし、これだけではまだ不十分である。じつは情報量というものは、受け手の「予測」をどのくらい覆すかという点に価値基準をおくべきなのである。
予測が覆れば、その後の行動も変わらざるをえない。ある人間に新しい情報を伝えたことで、それ以後の行動がどのくらい変わっていくか。その変化の比率によって情報量を規定しようというのが「情報理論」の考え方である。要するに、情報量とは驚きの大きさだといっていい。》
「どれほど多くの情報を得られるか」は、「どれほど驚く能力があるか」に制約される。
情報の受け手の立場から考えれば、そうも言えるだろう。
あるいは、「情報収集力とは驚く能力である」とも定義できるかもしれない。
ふだん当たり前だと思っていることに、何か驚くべきことはないか。
学ぶことは何もないと思っている相手から、何か学べることはないか。
そういう問い掛けが、情報収集力を高めるのだ。
そういえば内田樹さんはこんなことを言っていた。
《「知性とは驚く能力のことである」というのはロラン・バルトの名言である。
「驚かない」というのは要するに知性が鈍感だということである。
自分の手持ちのフレームワークにしがみつき、どんな新奇なことに遭遇しても、既知に還元して説明しようとする人間は、その狭隘なたこつぼから一生出ることがない。
その反対に、日常的に経験するあたりまえの事象のうちに「ん? なんか、変じゃない?」というふうにひっかかりを感知し、あらゆることのうちに驚きのタネを見つけることができる知性の方ができはずっと上等だ。
「驚かない」人間はどんどん鈍感になり、「既知」のうちに安んじる。
「驚く」人間は自分の周囲にたえず「未知」を発見してわくわくする。
さて、命にかかわるような大事件が起きたときに、適切に対処できるのはどちらだろう。
もちろん「驚く」ことに慣れている人間である。
この人にとって「驚く」ことは主体的な営みである。自ら選んだ世界へのかかわり方である。
驚きに対して、能動的なのである。
だから、「驚く人は、驚かされない」。
ひごろ驚かない人は、その鈍重で堅固なフレームワークが「壊れる」まで、変化に気づかない。そして、何の準備もないまま、いきなり想像を絶した命がけの事件に直面することになるのである。
だから、「驚かない人は、驚かされる」のである。》
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