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『講孟箚記』を読んだ
2009年02月05日 木曜日
今年の古典読破計画の第二弾として、吉田松陰の『講孟箚記』(講談社学術文庫、上、下
)を読んだ。
読み始めたときは、「ちょっと背伸びし過ぎたかな? 難しくて自分には読めないかな?」と不安になったが、フォトリーディングの要領で全体を眺めてから、巻末の解説(近藤啓吾さん)で吉田松陰の生涯や言葉を読んで、俄然読む気になった。
松下村塾の主催者として高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋といった人々を指導した人物だから、高齢まで生きたものと勝手にイメージしていたが、吉田松陰が斬首刑に処されたのは30歳のとき。
わずか20代で、あれだけの思想的影響を与えた人物だったのだ。
ペリー来航で国中が混乱に陥っていた1854年、松陰25歳のとき、下田に停泊中のペリー率いるアメリカ艦隊の1隻に小舟で乗り付け、
「吾(わ)れメリケンに往(ゆ)かんと欲す。君(きみ)幸(さいわい)に之(これ)を大将に請(こ)え」
と漢文で大書きしたものを見せて乗艦を要求するが拒否され、下田奉行所に自首(密航は重罪だった)。獄に入れられる。
獄に入れられた吉田松陰は、刑期というものがないためにいったん投獄されると生涯出獄が許されず、前途への希望を失い陰鬱自棄に陥っている囚人たちを見て、なんと囚人たちを相手に『孟子』の講義を始める。
囚人相手に経典講義を始めることを思い付くだけでもすごいが、この新入り同囚からの、聴く義務など何もない講義は獄囚たちに深い感銘を与え、二カ月の『孟子』講義が終わった後はただちに『孟子』の輪講が始められたそうだ。この輪講は、松陰の出獄まで5か月にわたって続いたという。
この輪講の内容に、出獄後の松陰による『孟子』研究の内容が追加されたのが、この『講孟箚記』だ。
近藤啓吾さんによる現代語訳が付記されているおかげで、それほどの困難を感じることもなく、吉田松陰の崇高な精神に触れることができた。
本文を読むと、なるほど、そういう行動を取って、かつ周囲の人々を感化するだけの気魄と至誠に満ちた人物であったことが、よくわかる。
読んでいて涙が出てくるところが、随所にあった。
こういう魂を持った吉田松陰という人物自体がすごいと思うと同時に、こういう人物を多数の人々が師と慕い、その書物が古典として残されて影響を与え続けるこの日本という国も、またすごい国だと改めて思った。
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