ビー・ドキュメント代表 佐々木 一郎の公開日記

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吉田松陰の予言

2009年02月07日 土曜日

獄中の吉田松陰が囚人たちを相手に『孟子』を講義したのは、同囚を励ますためである以上に、自分自身を励ますためであったようだ。

《〔‥‥〕世の君に事(つか)うることを論ずる者謂(おも)へらく、「功業立たざれば国家に益なし」と。是(これ)大(おおい)に誤りなり。「道を明かにして功を計らず、義を正して利を計らず」とこそ云へ、君に事(つか)えて遇(あ)はざる時は、諌死(かんし)するも可なり、幽囚(ゆうしゅう)するも可なり、饑餓(きが)するも可なり。是等の事に遇えば、其の身は功業も名誉も無き如くなれども、人臣の道を失わず、永く後世の模範となり、必ず其の風を観感して興起する者あり。遂には其の国風一定して、賢愚貴賎(けんぐきせん)なべて節義を崇尚(すうしょう)する如くなるなり。然れば其の身に於て功業名誉なき如くなれども、千百歳へかけ其の忠たる、豈(あに)挙げて数うべけんや。是を大忠(だいちゅう)と云(い)うなり。〔‥‥〕》(講孟箚記巻の一 第一場 乙卯六月十三日)
《世間の君に仕えている人のうちには、「功業が立たなければ国家に益するところがない」と思っているものがあるが、これは大いに誤った考えである。「道を明らかにして功を計らず、義を正して利を計らず」という通り、君に仕えて意見が合わぬ時は、諌死(かんし)するもよい、幽囚(ゆうしゅう)されるもよい、饑(う)えて死するもよい。これらの状態に陥った時には、自分の一身においては、功業も名誉もないようではあるが、臣下としての道を失わず、永く後世の人々の模範となり、必ずその態度を観て感動し、奮起する人も出て来るものである。かくしてついにその国の風(ふう)が確定して、賢愚貴賎(けんぐきせん)の区別なく、人々すべて節義を尊ぶようになるのである。以上から見るならば、自分の一身から見れば功業も名誉もないようであるが、千年百年という長い年代にわたって、その行動が忠義であること、計り知ることができぬものがあるのであって、さればこれを大忠(だいちゅう)というのである。》(近藤啓吾訳)

本人が刑死して150年が経た今、吉田松陰が《永く後世の模範となり、必ず其の風を観感して興起する者あり》と喝破した通りに、自分が《其の風を観感して興起》しているという事実に打たれる。

 

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