ビー・ドキュメント代表 佐々木 一郎の公開日記

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殀壽不弐、脩身以俟之、所以立命也

2009年02月11日 水曜日

吉田松陰の『講孟箚記』で好きなところをもう一つ。

《殀寿(ようじゅ)弐(うたが)はず、身を脩(おさ)めて以(もっ)て之(これ)を俟(ま)つは、命を立つる所以なり。(殀壽不弐、脩身以俟之、所以立命也)
殀寿は命の短長なり。命の短長に於て疑弐(ぎじ)の心を生ぜず、唯〃(ただただ)「身を脩めて以て之を俟つ」とて、吾が心力の及ぶだけは尽して、其の餘(よ)は命に任せ置くなり。然れば命を立つるとて、命を人為を以て害するに至らず。〔‥‥〕
「殀壽不弐(殀壽弐はず)」の四字、誠に吾が輩の良誡(りょうかい)なり。殀も寿も皆吾が心底に任することに非ず、唯身を脩むるは己にあり。我已に老いたり。今更学問にも及ばず、或ひは墓なき浮世僅か五十年の光陰に、事業も入らぬ物なりと云ふ類、或ひは悟りを開きたるに似るあり。懶惰(らんだ)に陥りて返ることを知らざるもあり。少しは優劣あるが如しと雖(いへど)も、均しく皆「立命」と云ふことを知らざるなり。凡そ人一日此の世にあれば、一日の食を食ひ、一日の衣を着、一日の家に居る。何ぞ一日の学問、一日の事業を励まざるべけんや。仮(たと)へば逆旅(げきりょ)の如し。茶屋小屋に休宿する時は、夫々に茶代・宿代を与ふるが如し。天地は万物の逆旅にして、衣食居を初め、天地万物の恩を受けながら、其の恩に報ぜざるは、実に天地の盗人、万物の蠹虫(とちゅう)と云ふ物にて、茶代・宿代を与へずして逆旅を過ぐるが如し。豈(あに)惧(おそ)れざらんや。余甲寅(こういん)の歳、澁木生(しぶきせい)と下田獄に囚はる。僅か半坪の檻に両人坐臥す。日夜無事なるに因りて番人に頼み、『赤穂義臣伝』『三河後風土記』『眞田三代記』など、数種を借りて相共に誦読(しょうどく)す。時に両人、万死自ら期す。今日の寛典に処せらるべきことは、夢だにも思はざることなり。因りて余、澁木生に語り云はく、「今日の読書こそ真の学問と云ふ者なり。昔し漢の夏候勝(かこうしょう)・黄覇(こうは)両人獄に下る。夏候勝は儒者なれば、黄覇、夏候勝に学問を授かり度き由を云ふ。勝云はく、遠からず罪死に遇ふべき身分の、学問は入らぬ者なりと。覇云はく、『朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり』と云ふこともあれば、是非とも授かり度しと申せし故、勝も其の辞に感じて遂に授けしに、三年の間、獄中にて講論怠らざりしが、後、大赦に因りて両人共に獄を出で、再び官に登りしと云ふことあり。両人獄に在る時、固(もと)より他日の大赦は夢にも知らぬことなり。然れども道を楽しむの厚く、学を好むの至り、斯の如し。今、吾が輩両人、亦此の意を師とすべし」と云へば、澁木生も大に喜べり。今、此の章を読み、前日の説と暗合することあるを喜び、又澁木生溘焉(こうえん)夕死(せきし)し、復(ま)た共に此の章を講論することを得ざるを悼み、玄然(げんぜん)として涙下る。〔‥‥〕》(講孟箚記巻の四中 尽心上篇)
《「殀寿(ようじゅ)弐(うたが)はず、身を脩(おさ)めて以(もっ)て之(これ)を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」、「殀寿」とは生命の短いとか長いとかいうことである。この句の意味は、生命の短長については何の疑惑をも起さず、ひらすら自己の身の修養につとめて生涯を終えるために、自分の心の全力を発揮し、その外のことはすべて天命にまかせておくというものである。それを「命を立つる」、天から与えられた生命を全うするというのであって、こうしたならば生命を勝手なふるまいによって害するようにはならないのである。〔‥‥〕「殀寿(ようじゅ)弐(うたが)はず」ということばは、まことにわたくしにとってのよい誡(いまし)めである。早死も長生も、いずれも自分の心のままになるものではない。ただわが身を修めることは自分の責務である。「わたくしはもう年老いたから、今更学問にも及ばない」とか、「はかないこの世のなか、わずか五十年しか生きていないのに、仕事など無用のものだ」とかいう類は、悟りを開いたように見えるものもあり、なまけ癖に陥ってもとの自分にもどることがわからぬものもあって、少しはその間に優劣があるようではあるが、いずれも「命を立つ」ということを知らぬものである。
 およそ、人は一日この世に生きていれば、一日分の食物をたべ、一日分の衣服を着、一日分の家住いをする。それならば一日分の学問、一日分の事業を励まねばならない。このことは宿屋に似ている。宿屋に休息したり宿泊したりすれば、それに応じて茶代や宿代を与えるものである。「天地は万物の逆旅(げきりょ)、天地はあらゆるものにとって宿屋であると李白(りはく)もいっているが、衣・食・住を初めてとして天地万物の恩を受けていながら、その恩に酬いようとしないことは、実に天地の盗人、万物の害虫というべきものであって、茶代や宿代を与えずに宿屋を出てゆくようなものである。惧(おそ)るべきことといわねばならない。
 わたくしは、安政甲寅の歳、すなわち元年に、米艦で渡海しようとして失敗し、澁木生(しぶきせい)とともに下田の獄舎に囚えられ、わずかに半坪の檻の中に二人で起居したのであるが、日夜、為すことがないので、番人に頼んで『赤穂義臣伝』『三河後風土記』『眞田三代記』など数種の書物を借りて、ともに誦読したのであった。そしてその時、二人とも、必ず死罪に処せられるものとみずから覚悟しており、今日の寛大な処置を受けようことなど、夢にも考えていなかった。そこでわたくしは、澁木生に次のように語ったことである。「今日している読書こそ、真の学問というものである。昔、漢の夏候勝(かこうしょう)と黄覇(こうは)の二人が獄に入れられた時、夏候勝は儒者であるから、黄覇は彼に向って学問を授かりたいと頼んだところ、勝は、遠からず死罪になるべき運命のものに、学問は必要ない、と断ったので、覇は、『朝に道を聞いたならば、夕には死んでもよい』ということもありますから、是非とも教えていただきたい、といったので、勝もそのことばに感動してついにそれを授けたところ、三年間、獄中で怠ることなく研究していたが、後、大赦にあって二人とも獄を出て再び官についたという話もある。しかしこの二人が獄にいた時、もちろん、後日大赦にあうということは夢にも知らぬことであったが、そのうちにあって、このように厚く道を楽しみ、この上なく学問を好んだのである。今、われわれ二人も、この精神を手本にしよう」。こういったところ、澁木生も大いに喜んだ。わたくしは今この章を読んで、あの時の意見と暗合しているところがあるのを喜び、同時に澁木生がにわかに没してしまい、再びともにこの章について研究することができないことを悼んで、しとど涙を流したことである。》(近藤啓吾訳)

死刑を覚悟して一緒に牢に入れられて、「一緒に本を読もう、これいう状況でする学問こそ真の学問だ」と提案して喜んでもらえる友人がいる、というのがすごいと思う。

 

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