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物事の起源への問い
2009年02月14日 土曜日
たとえば国語辞典の使い方ひとつ説くのにも、国語辞典だけを見ていては、読み手の心を動かすような説明はできない。
国語辞典とは何なのか。国語辞典を使うとはどういうことなのか。それは人間にとって、あるいは自分にとって、どのような意味を持つことなのか。
そう問わずにはいられないのが人間だ。
全体の中の位置づけがわからないことには、理解も行動もできないのだ。
全体というのは空間的な全体だけでなく、時間的な全体も指す。
だから「物事を正しく理解して正しく行動したい」という欲求は、必然的に、物事の起源への問いを呼び起こす。
古代から人類が、たとえ荒唐無稽な神話の形式であっても、人類の起源、生命の起源、宇宙の起源などについて説明せずにはいられなかったのは、こうした起源についての説明がつかないことには、「自分たちはなぜその行動を選ぶのか? なぜ別の行動を選ばないのか?」を、自分にも他人にも十分納得させることができなかったからだろう。
世界の起源に関する説明は、最も深いところで、人間の行動の土台をなしている。
世界の起源に関する説明があやふやである限り、人間の行動もあやふやにならざるをえない。
共同体の結束の強さや、共同体が選択する行動に対する成員の確信の強さが、文字通り死活問題であるような環境においては、すべての成員が世界の起源に関して同一の説明を共有すること自体が、共同体の存亡に関わるほどの重要性を持つ。
一方で、世界の起源に関する説明ほど、万人に納得のいく証明があり得ない問題もない。
世界の起源に関する見解の対立は、人類が存在する限り解決され得ない。
だから、世界の起源に関するあやふやな確信に基づいて、あやふやな行動を続けても生命を脅かされることがない今の日本社会は、世界の起源に関する理解を巡って人間同士が争う必要がないという意味でも、実に恵まれた社会と言えるだろう。
今の日本において「確信をもって自分の人生を生きたい」というのは、「ポルシェに乗りたい」とか「豪邸に住みたい」とかと同列の、何ら生存には関わらない欲望の一つに過ぎないに違いない。
佐々木にとっては「確信をもって自分の人生を生きたい」というのは大切な欲望の一つだから、人類の起源、生命の起源、宇宙の起源に関する問いも、個人的にはとても大切な問いだ。
今の佐々木にとって、これらの問いにもっとも納得の行く説明を与えてくれるのは、『看護のための「いのちの歴史」の物語』(本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子著)という本だ。
この本が佐々木にとっての創世記と言っていいと思う。
この本で説かれている人間観や生命観や世界観を、神や命に対する冒涜と感じる人も、当然いるはずだ。
むしろそういう人の方が多いかもしれない。
ただ、同意するかどうかは別にして、こういう人間観や生命観や世界観で生きている人も世の中にはいる、ということを知るためだけでも、この本は読んでおいていい本だと思う。
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