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山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
2009年03月03日 火曜日
佐々木は文章を書くことを仕事にしているし、仕事上のやりとりもほとんどメールで行う。
だから佐々木が犯す「仕事上の失敗」のかなりの部分は、「文章の失敗」によって占められる。
「文章の失敗」をしでかしたとき、佐々木が文章読本類の中で一番読みたくなるのは、山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く(PHP新書)』だ。
この本は、「よい文章」を書くためのテクニックを説いた本ではない。
周囲の人々と「よい関係」を築いていく。
さらには、自分自身と「よい関係」を築いていく。
そういったことのために必要なことの一部として、「よい文章」を書くことを位置づけている。
だからこの本では、身近な具体例をいくつも取り上げて「伝わる・揺さぶる」文章の書き方を検討しながらも、検討のほとんどの部分は、書き手自身の客観的な立場と個人的な思いの、深い掘り下げに当てられている。
リナックスカフェ代表取締役の平川克美さんは、『ビジネスに「戦略」なんていらない』で次のように述べていた。
《〔‥‥〕ビジネスにおけるわたしたちの人称は、いわばひとつの役割演技としての人称です。 社長、部長、係長といった役職はもとより、医者、銀行家、八百屋、魚屋、大工といった職業もまたそれぞれの仕事の内容を示す呼称であると同時にひとつの役割演技としての人称でもあるのです。これらの役割演技を演じているのは「平川克美」とか「山田太郎」とかいう本人の名前です。しかし、たとえばわたしならリナックスカフェ代表取締役平川克美という場合の「平川克美」はひとつの役割演技の呼称なのです。別の言い方をすればキャラですね。芸風と言ってもいいかもしれません。〔‥‥〕 ここで重要なのは、ビジネスの舞台では、それぞれがそれぞれのキャラを身にまといながらも、そのキャラを操っている交換不可能な「わたし」という個性が同時に存在しているということなのです。 この場合、キャラは仕事の内容そのものに基礎づけられており、複数の存在が可能ですが、そのキャラをまとった個性は社会制度や規範や生活環境や自身の欲望というものが編み上げたこの世で唯一のものです。個人はここでは業務遂行的な課題と自己確認的な課題に引き裂かれたような関係にあります。この引き裂かれたような関係こそが仕事の面白さの源泉であり、エネルギーを生み出す源泉であると言えるのです。 〔‥‥〕ちょっとややこしい話になりますが、自分の演じているキャラと自分の個性(=自分が自分であるところのもの)との落差の不断の交換プロセスが、ひとりの個人の中で生起しており、同時に他者との間においても行われている。ビジネスのコミュニケーションは、遂行的な課題についての遂行的なコミュニケーションですが、同時にそれぞれの「社会的な自分」と「個としての自分」がつくる落差のコミュニケーションでもあるわけです。》
ビジネスの現場では純粋に「社会的な自分」同士が向き合うのだ、という発想で書かれた文章本なら、書店のビジネス書コーナーにいくらでも並んでいる。
文章を書くことは「個としての自分」の表現だ、という発想で書かれた文章本なら、書店の教育書コーナーにいくらでも並んでいる。
だが、ビジネスの現場では「社会的な自分」を「個としての自分」が裏で操っている者同士がコミュニケーションしている、という事実への洞察に基づいて文章本を書いている人は、佐々木の知る限り、山田ズーニーさん以外にはいない。
「個としての自分」を「社会的な自分」に優先させていては、ビジネスのコミュニケーションはうまくいかない。
これはあたりまえのことだ。
だが、「社会的な自分」を「個としての自分」に優先させ過ぎても、やはりビジネスのコミュニケーションはうまくいかないのだ。
それでは「個としての自分」が「社会的な自分」を維持できなくなる、というだけではない。
ビジネスの場で向き合う「社会的な相手」の向こうにも、やはり「個としての相手」がいるからだ。
山田ズーニーさんのこの本を読むたびに、こういったコミュニケーションに関わる奥深い問題に気づかされる。
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