『資本主義と自由』を読んだ
2009年03月18日 水曜日
今年の古典読破計画の第三弾として、ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』(村井章子訳)を読んだ。
佐々木は、福澤諭吉が説く「独立自尊」の精神に深く共感している。
だから、「大きな政府」よりも「小さな政府」を支持する。
この本でミルトン・フリードマンが主張している政策にも、ほぼ同意する。
ミルトン・フリードマンの「小さな政府」論は、政府による社会保障の必要性も踏まえた、現実的で穏健的なものだ。
だが、どういうわけだろう。
ミルトン・フリードマンの政策的主張には同意できるのだが、その政策的主張を導くロジックには、まったく魅了されなかった。
逆に、佐々木はカール・マルクスの政策的主張にはまったく同意できないのだが、その政策的主張を導くロジックには、深く魅了される。
ミルトン・フリードマンのロジックからは、この世界を丸ごと把握しようとする気魄が感じられないのだ。
自分の理屈に都合のいい現実だけを、適当につまみ食いしている印象だ。
社会モデルとして「ロビンソン・クルーソー的人間同士の契約」モデルが頻出するのも気に入らない。
現実の社会はそのようにはできていない。
少なくとも歴史的に、人間社会はそのようには発生していない。
「大きな政府」のデメリットや「小さな政府」のメリットを説いた本なら、これよりもずっとわかりやすい本が、何冊も出版されている。
申し訳ないがこの本を「古典」と呼ぶのは、ちょっと無理がありそうだ。
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