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喫論・禁論・分論
2009年03月22日 日曜日
佐々木は外国で生活した経験がないのでわからないのだが、日本人は比較的「議論嫌い」が多いとよく聞く。
たしかに、「公共の場では議論を慎むべき」という空気はよく感じる。
一方で、日本人にも何かと議論せずにはいられないタイプはいる。
日本においては、議論は喫煙のようなものになっていると言えるかもしれない。
議論好きの日本人の多くは、議論が嫌悪される環境を避け、議論好き同士で集まって議論にふける。
議論する相手が身近にいないときは、ネット上の掲示板やブログに一人でごちゃごちゃと書き込んだりする。
公共の場の分煙化が進んだ結果、タバコ嫌いの人々がタバコの煙をほとんど吸わずに済むようになったのと同様、日本においては、公共の場の「分論化」が進んだ結果、議論嫌いの人々は議論にほとんど接しないで済むようになった。
タバコの煙を吸わないようにすることが健康によいことは、ほぼ間違いないと思う。
これに対して、議論に接しないようにすることが当人の幸福に資するのかどうかは、ちょっと疑わしい。
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