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『精神分析入門』を読んだ
2009年06月01日 月曜日
今年の古典読破計画の第五弾として、ジークムント・フロイトの『精神分析入門』(新潮文庫上巻、下巻、高橋義孝、下坂幸三訳)を読んだ。
医師も非専門家も含む聴衆を相手にフロイトが行った28回の講義をそのまままとめた『精神分析入門』と、その補足として書かれた『精神分析入門(続)』から成る本。
第一講「序論」と、最後の第三十五講「世界観というものについて」が、特に印象に残った。
第一講「序論」では、精神分析の実践や教育に伴う困難や、精神分析上の知見に対する世間の反対や嫌悪の原因などが説かれる。
新しい科学の領域を確立した人物ならではの、誇りと説得力に溢れた章だった。
最終講「世界観というものについて」では、精神分析が拠って立つ科学的な世界観が、哲学的な世界観および宗教的な世界観との対比において説かれる。
無意識という、それまで科学の対象外とされてきた領域を、科学的研究の対象として開拓したフロイトだったからこそ、科学者が堅持しなければならない原理や世界観について、徹底的に自覚的であったことが、よくわかる章だった。
佐々木はフロイトに対して、こうした科学的な原理や世界観の縛りを解体するような方向の仕事をした人物、というイメージを勝手に持っていたが、それが誤解であったことがわかった。
《「科学は人間の精神活動の一領域であり、宗教および哲学は、科学とは少なくとも同価値の別の領域であって、科学はこの両者になに一つ口出しすべきではない」と言うことは許されません。「科学も宗教も哲学もみな真理を目指すという同じ要求を持っているのであり、人間がどこからその確信をえてこようと、どこへその信仰を移そうと、その選択は各人の自由である」このような見解は特に高貴で、寛容で、包括的で、偏狭な先入観を免れているとみなされます。残念ながら、ただそのような見解には根拠がありません。それは全く非科学的な世界観の有害性を分ち持っているのであり、実際上は非科学的な世界観と同じものなのです。有体に言って、真理は寛容でありえず、いかなる妥協も譲歩も許さず、科学的研究は人間活動の一切の領域を自分の領域とみなし、ある他の勢力がその一部分を自分のものとして勝手に差し押さえようとしますと、容赦なく批判的にならざるをえないのです。》
(下巻439ページ)
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