ビー・ドキュメント代表 佐々木 一郎の公開日記

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砂利道鍛練の意義

2009年06月04日 木曜日

砂利道を裸足で歩くトレーニングの意義は、佐々木の考えでは、次の二つ。


1.「感覚受容器官としての足の裏の開発」およびこれと表裏一体のものとしての「足の裏から受容する感覚の開発」

我々は普段、靴下を履いた上に、靴を履いて歩き回っている。

地面からの皮膚感覚受容という観点からすると、この状態を聴覚にたとえれば、聴覚健常者が耳栓をして生活しているようなものである。

耳栓をして生活していれば、脳にはぼやけた聴覚像しか反映しない。

この状態が続けば、聴覚像を形成する脳機能が衰える。

耳栓を外せば、再び聴覚像が鮮明になり、聴覚像を形成する脳機能も復活する。

砂利道を裸足で歩けば、ちょうどこれと同じことが、足の裏からの皮膚感覚に起こる。

人間の認識は五感覚の合成像を出発点に形成されるから、五感覚のうちの一感覚でも活性化すれば、認識が全体として活性化する。


2.直接的な外界の変化を正確かつ瞬時に認知し、自らの運動を正確かつ瞬時に制御する能力の開発

砂利道を裸足で歩く場合、足元をよく注意していないと、ガラス片などを踏んで怪我をする恐れがある。

ぼんやりと考え事をしながら歩く、ということができない。

だから、自分の運動に合わせて時々刻々と変化する外界を正確かつ瞬時に認知し、自らの運動を正確かつ瞬時に制御する能力が開発される。

人間には、直接的な外界の認識から離れて、未来を予想したり、行動を計画したり、過去を回想したり、他人の認識を追体験したり、ファンタジーを空想したりする能力がある。

これらは人間にとって必要な能力ではあるが、こうした能力を使い続けることは、認識と現実のつながりが失われる危険性を高めることでもある。

認識と現実のつながりが失われることが極まった状態が、精神病である。

だから自分の運動に合わせて時々刻々と変化する外界を正確かつ瞬時に認知し、自らの運動を正確かつ瞬時に制御する能力を開発することは、精神病の予防策にもなる。


以上の二つが、佐々木が考える砂利道鍛練の意義だが、これだけではないような気がしている。

これだけでは、南郷継正先生が、なぜ足の裏をヤケドさせることを推奨しているのかの説明がつかない。

 

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