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消費
2009年06月05日 金曜日
「消費」の対義語は「生産」だ。
対義語は、必ず二つセットで理解される。
「上」の意味は理解できるが「下」の意味は理解できない、ということはあり得ない。
したがって「消費」を理解できているということは、「生産」を理解できているということにほかならない。
ところで対義語というのは、必ずしも一つに限定されるものでもない。
「オモテ」の対義語は基本的には「ウラ」だろうが、「オモテ」と「ナカ」を対義語として扱う場合もある。
だから「オモテ」の意味を完全に理解するには、「ウラ」の意味を理解するだけでは不十分で、「ナカ」の意味も理解していなければならない、ということになる。
「ウラ」の逆として理解されるべき特性と、「ナカ」の逆として理解されるべき特性との間に、近接と重複があって、こうした近接と重複も含む特性に、「オモテ」という語があてられるている、という言い方もできるだろう。
こういう場合の「オモテ」に相当する語は、<周辺対義語>とか<付帯対義語>と呼ぶことができるかもしれない。
「消費」の場合はどうだろう。
「生産」以外に、「消費」の対義語はないだろうか。
すなわち「消費する」という行為には、「生産する」という行為の逆として理解されるべき特性以外に、別の行為の逆として理解されるべき特性はないだろうか。
佐々木は、あると感じている。
ただそれを表現するぴったりな言葉が見つからない。
ぴったりな言葉ではないのだが、「生きる」という言葉は、「消費する」という行為が持っているある特性の対立概念を、かろうじて表現しているように思う。
「消費する」と「生きる」を対義語として理解してみると、「消費すること」に対しても、「生きること」に対しても、新たな理解の深まりがある。
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