ビー・ドキュメント代表 佐々木 一郎の公開日記

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否定と必然

2009年06月06日 土曜日

以下はヘーゲルの言葉の中でも、佐々木が好きなものの一つ。

《人々は、哲学説のあいだに差異があるのを、真理が進歩してゆく発展過程としてとらえることなく、差異のなかに矛盾しか見ない。--花が咲けば蕾(つぼみ)が消えるから、蕾は花によって否定されたと言うこともできよう。同様に、果実により、花は植物のあり方としてはいまだ偽であったことが宣告され、植物の真理として花にかわって果実が現われる。植物のこれらの諸形態は、それぞれに異なっているばかりではなく、たがいに両立しないものとして排斥しあっている。しかし同時に、その流動的な本性によって、諸形態は有機的統一の諸契機となっており、この統一においては、それらは互いに争いあわないばかりでなく、どの一つも他と同じく必然的である。そして、同じく必然的であるというこのことが、全体としての生命を成り立たせているのである。--ところが一つの哲学説に反対がとなえられる場合、反対をする人の常として、このような仕方で自分自身のことを理解することがない。また、この事態を受けとる人々の意識も、一般に、矛盾しあう両論をその一面性から解放して自由な態度で受容することができず、対立し争いあっているかにみえる形態のなかに、相互に必然的な諸契機を認めえないでいる。》
(『精神現象学』山本信訳)

蕾は花によって否定された。

ゆえに植物に蕾は不要である。

みんなで蕾のない植物づくりを目指そう。

‥‥とでも言うかのような主張を目にするたびに、佐々木はヘーゲルのこの言葉を思い出す。

 

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