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苦しいときの吉田松陰
2009年06月25日 木曜日
逆境を感じたときは『講孟箚記』の次の一節を思い出す。
《〔‥‥〕余、野山獄に在る時、友人土谷松如、『居易堂集』を貸し示す。其の中に『潘生次耕に与ふるの書』あり。才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意謂へらく、天の才を生ずる多けれども、才を成すこと難し。譬へば春夏の草木花葉、鬱蒼たるが如き、是才を生ずるなり。然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢いて皆零落凋傷す。独り松柏は然らず。雪中の松柏愈々青々たり。是れ才を成すなり。人才もまた然り。少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆し。然れども艱難困苦を経るに従ひ、英気頽廃して一俗物となる者少からず。唯真の志士は、此の処において愈々激昂して、遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋む所以、即ち松柏の実する所以なり。艱苦は軽鋭の頽るる所以、即ち志士の激する所以なり》(講孟箚記巻の四上 第十五章)
《〔‥‥〕わたしが野山の獄にいた時、友人の土谷松如が、明の遺臣徐俟齋の『居易堂集』を貸してくれたが、そのうちに『潘生次耕に与える手紙』があり、それには、才を生じ才を成すことが論じてあって、その大意は次のようであった。「天が人に才能を与えることは多いが、その才能を完成することはむつかしい。才能を与えるとは、あたかも、春夏に草木の花や葉が深く茂るようなものであって、桃や李(すもも)の類は、秋冬の霜や雪にあえば、みな枯れ落ちてしまうが、松や柏(はく)だけはそれと異なり、雪の中にますます青々とその翠(みどり)をたたえている。才能を完成するとは、この雪中の松柏の姿のようなものである。人間の才能もこれと等しく、世のなかには、年若く気鋭く、その能力が豊かで喜ぶべきものが多く存在する。しかるに艱難困苦を経るにつれて、そのすぐれた気性が頽(くず)れて、結局、一俗物になってしまうものが少なくない。そのうちにあって、ただ真の志士だけが、その艱難困苦に対処していよいよふるい起ち、ついにその才能を完成するのである。されば、霜雪(そうせつ)は桃や李(すもも)が枯れる原因であり、同時に松や柏(はく)が完成する原因なのである。同様に、艱苦は人の鋭い気性が頽(くず)れる原因であり、同時に志士がふるい起つ原因なのである」。》(近藤啓吾訳)
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