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社会科学
2009年07月08日 水曜日
社会科学は自然科学よりも有効性が低い、という考え方がある。
政治学者の滝村隆一さんは、この考え方を次のように批判している。
《 社会科学だろうが自然科学だろうが、〈科学〉というからには、対象の直接の現象的諸形態に関わる個別性・特殊性を捨象して、その背後の一般的性格を論理的に媒介・止揚しながら抽象し、一般的な理論・法則として構成する点で、共通の〈方法的〉特質をもっている。因みに現象的または即物的にみるならば、〈地代〉は恰も土地生産物であるかの如く土壌それ自体から直接生み出されるかに錯覚させられて、決してそれが、直接眼には視えない社会的諸関係によって大きく媒介された所産であることを、看取できない。同じように、ニュートンの万有引力の法則は、落下したリンゴそれ自体の特質ではなく、〈リンゴの落下〉現象の背後に潜む〈重力〉としての一般的性格を直観的に看取することによって生じたものである。
ただ社会的事象に対する〈科学的〉解明には、対象的事物を直接の実体的にとりあつかうのではなく、実体的事物が孕む幾重にも錯綜した諸形態・諸属性・諸関係を、何よりも論理的に区別しその内的関連を統一的に把握(再構成)し整除するための、極めて特殊で高度な論理的・方法的能力の錬磨と開発を要する。従って、〈科学者〉というにふさわしい研究者の輩出が極めて稀であるばかりか、かく構成された理論自体が、かかる特殊な訓練をへた者でないと、なかなか理解されにくいという特徴をもっている。これに対して自然科学の場合には、この種の特殊に高度な論理的能力上の困難は存在しない。それは、自然法則の発見・定立とその論証過程において、自然的事象をごく単純に直接の実体的事物としてとりあつかうことによっても可能だからである。例えばそこでは、直接の実体的事物として扱うことのできる当該生物個体の顕著な特徴が、そのまま生物生理学上の一般法則としての性格を把持している場合が多い。しかもかかる実体的な自然的事物としての把握には、その直接的観察と直接的再現が前提となっている。すなわち自然的事物からの任意的摘出や純粋の人工的設定等の形態をとった、いわゆる〈実験〉的実証がそれである。
かくて自然法則の成否如何が、〈実験〉的実証という素人にも有無をいわせない即物的確実性をもって論証されることは、自然科学の大きな特徴といってよい。しかもかかる特質は、一方で自然科学者に高度の論理的・方法的鍛練を不要たらしめると共に、他方で〔‥‥社会科学の分野における〕即物的経験論者からの全面屈伏を獲得せしめる所以ともなったわけである。》
(『国家論をめぐる論戦』「唯物史観をめぐる論戦」)
佐々木は学生時代にこの批判に接し、滝村さんの言う「極めて特殊で高度な論理的・方法的能力」を身につけ社会のため役立てることに、自分の生涯を捧げようと思った。
業務マニュアル製作という仕事は、佐々木個人にとって、そのような意義も持っている。
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