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三浦文法学
2009年07月17日 金曜日
大学受験予備校に勤めていたころ、英文解釈(和訳)の講義をいくつか受け持っていた。
生徒の和訳は、日本語として奇妙であることが少なくなかった。
そういうとき、単に日本語が奇妙であることを指摘したり、より適切な表現を提示したりするだけでは、佐々木の気は済まなかった。
「その表現がなぜ奇妙なのか」という理由を生徒納得させる義務が、教師の自分にはあると思っていた。
日本語表現の適否について、生徒にも佐々木自身にも納得のいく説明をするうえで、最も助けになったのは、三浦つとむの文法学だった(『認識と言語の理論』、『日本語はどういう言語か』、『こころとことば』他)。
日本語表現について生徒に本質的に考えて欲しいとき、佐々木は三浦つとむにならい、黒板に次のように書いて説明しはじめたものだ。
日本語
英語 }?
中国語
‥‥
「日本語、英語、中国語‥‥。こういうのを合わせて、なんて言う? そう、『言葉』、難しく言うと『言語』だよね」
日本語
英語 } 言語
中国語 絵画 }?
‥‥ 音楽
‥‥
「じゃあ、言語、絵画、音楽‥‥。こういうのを合わせて、なんて言う? 難しいかな? 『表現』と言うんだよね」
日本語
英語 } 言語
中国語 絵画 } 表現
‥‥ 音楽
‥‥
「ものごとは小さな部分だけ見ていても、正しく理解することはできないんだ。日本語について正しく理解しようと思ったら、『そもそも日本語ってどういう言語なんだ?』とか、『そもそも言語ってどういう表現なんだ?』とか、そういう大きな観点で考えてみる必要があるんだ。だからまず、〈言語での表現〉にはどんな特徴があるのかを、〈絵画での表現〉と比べながら考えてみよう」
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