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〈主体表現〉と〈客体表現〉
2009年07月18日 土曜日
三浦つとむの文法学の中で特に重要なのは、〈主体的表現〉と〈客体的表現〉という区別だ。
〈主体的表現〉と〈客体的表現〉の区別については、『日本語はどういう言語か』の説明がわかりやすい。
この区別の理解なしに文法を論じることは不可能なはずなのに、いまだにこの区別が一般に理解されていないことを、佐々木は残念に思う。
ただ佐々木は、概念の呼び方については、〈主体的表現〉/〈客体的表現〉より、〈主体表現〉/〈客体表現〉のほうがよいと思っている。「主体的」というと、「主体性がある」ということと混同されやすいからだ。
佐々木は〈主体表現〉/〈客体表現〉について予備校生に説明するとき、「私は絵は上手じゃないんだけど‥‥」と断ったうえで、下のような絵を描き、以下のように話していた。

「これ、何の絵だかかわかる? ‥‥お碗の絵だよね。じゃあ、これは何の絵だかわかる?」

「これもやっぱりお碗の絵だよね。(A)も(B)も、描いてあるものは同じだ。じゃあ、(A)と(B)は、何が違うんだろう? ‥‥この絵を描いた人が、お碗をどの角度から見て描いたかが違うんだよね。だから絵には、“描かれた物”が表現されているだけじゃなくて、“描いた人の位置”も表現されている、ということになる。“お碗を描写した人の位置”を表現せずに、“お碗”だけを表現するということは、絵の場合、不可能なんだ。じゃあ、絵じゃなくて言葉の場合はどうだろう?」
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「このように『お碗』と書いてあるのを見ても、この言葉を書いた人がお碗をどこから見ているのかは、わからないよね。“お碗を描写した人の位置”を表現せずに、“お碗”だけを表現できるというのは、絵画と比べたときの、言語の大きな特徴だ。じゃあ、言語では、“お碗を描写した人”のことは何も表現できないのかな? そんなことはないよね」
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「この『お碗だ。』の『だ。』の部分は、何を表現してるんだろう? この表現をした人が、自分の判断に自信を持っていることを表現しているんだよね。次の文と比較してみればわかる」
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「この『お碗かもしれない。』の『かもしれない。』の部分は、この表現をした人が、自分の判断に自信を持っていないことを表現している。だから言語でもやっぱり、“表現されたもののこと”だけじゃなくて、“表現した人自身のこと”も表現できるんだ。こういう、“表現した人自身のこと”の表現を、〈主体表現〉と呼ぶんだ。それに対して、“表現されたもの”の表現は、〈客体表現〉と呼ぶ。今説明した例でわかってほしいんだけど、絵画の場合は、〈主体表現〉と〈客体表現〉はまったく切り離せない。言語の場合は、〈主体表現〉と〈客体表現〉を切り離して行うことができる」
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