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量の仕事、質の仕事
2009年07月20日 月曜日
「量の仕事」と「質の仕事」という区別について、最近よく考える。
ここで「量」とか「質」とか言うのは、「量的変化」、「質的変化」のことだ。
すなわち「量の仕事」とは「量的変化をもたらす仕事」であり、「質の仕事」とは「質的変化をもたらす仕事」である。
たとえば庭の草むしりを考える。
雑草だらけの庭から、雑草を1本抜く。
庭が雑草だらけであることに変わりはない。
すなわち、「雑草だらけ」という質には、何の変化もない。
雑草の数が量的に変化するだけである。
だから、最初の雑草1本を抜く仕事は、「量の仕事」である。
2本目の雑草を抜く。
1本目の雑草を抜いたときと同じで、「雑草だらけ」という質に変化はない。雑草の数が量的に変化するだけである。
3本目の雑草を抜く。
やはり「雑草だらけ」という質に変化はない。雑草の数が量的に変化するだけである。
このように「量の仕事」が延々と続いていく。
ところがある時点から、まだ「雑草だらけ」ではあるのだが、最初の「雑草だらけ」よりは明らかに雑草が減った状態、というのが現れはじめる。
すなわち、「雑草だらけ」という質に、変化がもたらされはじめる。
見かけ上は最初の1本目を抜くのと同じ仕事をしていても、この段階で雑草を1本抜く仕事は、単なる「量の仕事」ではない。
「質の仕事」の性格を帯びた「量の仕事」である。
さらに1本、また1本と雑草を抜いていくと、「雑草だらけ」とはとても表現し得ない状態が現れる。
すなわち、「雑草だらけ」という質の、完全な変化がもたらされる。
「もうこれ以上雑草を抜く必要はないだろう」と判断されるに至る、最後の雑草1本を抜く仕事が、「質の仕事」である。
ところで、人はなぜ最初の雑草1本を抜き始めることができるのだろうか。
それは、この最後の雑草1本を抜く瞬間と、最後の雑草1本を抜き終えた状態を、たとえ漠然とではあっても、頭の中で見ることができるからである。
すなわち、頭の中であらかじめ「質の仕事」ができるからである。
おそらく一般に仕事は、「(頭の中での)質の仕事」→「(現実の)量の仕事」→「(現実の)質の仕事」というプロセスで進んでいく。
「(現実の)量の仕事」が精神的に苦痛であるとすれば、それはおそらく、「(現実の)量の仕事」に先立って「(頭の中での)質の仕事」が成し遂げられていないからである。
「(頭の中での)質の仕事」が精神的に苦痛であるとすれば、それはおそらく、「(頭の中での)質の仕事」が「(現実の)量の仕事」に結び付かないからである。
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