ビー・ドキュメント代表 佐々木 一郎の公開日記

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甘いもの

2009年07月27日 月曜日

日垣隆さんの古典読書会メーリングリストの課題で、太宰治の『人間失格』を読み返した。

《 自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、〔‥‥〕自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞(むち)とちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒(ちゆ)し難い傷でした。
〔‥‥〕
 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、
「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」
 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、
「何か面白い本が無い? 貸してよ」
 と言いました。
 自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。
「ごちそうさま」
 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓(みみず)の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験に依って知っていました。》

諧謔に託して苦悩を語る、というのは『人間失格』の「手記」全体を貫くスタイルだが、「女性と甘いもの」に関する有名なこのくだり、以前読んだときは、そのユーモラスさだけが印象に残った。

改めて読み返して、「甘いものを食べさせたぐらいで女の機嫌が直る」ということも、やはり主人公にとっての苦悩の一つとして描かれているのだということが、心に響いた。

論理に頼って思考を進める人間は、論理をすっとばして進められる思考に接すると、ときに孤独を感じる。

論理レスにロンリネス。

とかいって。

かといって、接する誰もがいつも論理的であってくれればそのぶん幸福、というわけでもないのがややこしいところだが。

 

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