不死のイメージ
2009年08月11日 火曜日
村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に、時間をどこまでも分割していくことによって実現する不死、という考え方が登場する。
《「〔‥‥〕あなたの肉体が死滅して意識が消え朽ち果てても、あなたの思念はその一瞬前のポイントをとらえて、それを永遠に分解していくのです。飛ぶ矢に関する古いパラドックスを思い出して下さい。『飛ぶ矢はとどまっている』というあれですな。肉体の死は飛ぶ矢です。それはあなたの脳をめがけて一直線に飛んできます。それを避けることは誰にもできません。人はいつか必ず死ぬし、肉体は必ず滅びます。時間が矢を前に進めます。しかしですな、さっきも申しあげたように思念というものは時間をどこまでもどこまでも分解していきます。だからそのパラドックスが現実に成立してしまいます。矢は当たらないのです」
「つまり」と私は言った。「不死だ」
「そうです。思念の中に入った人間は不死なのです。正確には不死ではなくとも、限りなく不死に近いのです。永遠の生です」》
(「ハードボイルド・ワンダーランド(百科事典棒、不死、ペーパー・クリップ)」)
言うまでもなく、いかなる形であれ現実には不死はあり得ない。
しかし、村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で描いて見せた不死のイメージには、他の不死のイメージから隔絶した“リアリティ”があった。
佐々木自身、自分の死をイメージするとき、その瞬間を限りなく先延ばししたい、という欲望よりも、その瞬間に達するまでの「密度」を限りなく濃密にしたい、という欲望のほうが、はるかに現実性があるように感じる。
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