佐々木のスケジュール帳
2008年11月30日 日曜日
これが、スケジュール帳をマインドマップ式で書くために特注したスタンプ(の原稿)。

下は、今年のスケジュール帳。高橋書店の業務日誌(No.871、A5サイズ1頁2日ワイド記入型)に、上のスタンプを押して使っている。

こちらは、来年用に買った能率ダイアリーメモリー2(No.7121、A5サイズ1日1頁バーチカル型)。
A5サイズ1日半ページでは狭く感じるようになったので、同じサイズで1日1ページのものに変えた。

マインドマップ式ノートの利点
2008年11月29日 土曜日
ノートをマインドマップ式(放射型書式)で書く一番の利点は、補足がしやすいことだと思う。
通常の書式で書かれたノートは、補足できるスペースが限られている。
最初に書かれたときの状態で、完結してしまっている。
マインドマップ式で書かれたノートは、基本的にどの部分にでも補足できる。
むしろ補足を促す。決して完結することがない。
だからアイデアも拡がる。
佐々木はスケジュール帳もマインドマップ式で書けるように、一日の流れを放射状に書き込めるフォーマットのスタンプを、わざわざ特注してしまった。
この特注スタンプを、市販のスケジュール帳にペタペタと押して使っている。
マインドマップに何色ものカラーペンを使う理由
2008年11月28日 金曜日
マインドマップは、何色ものカラーペンを使って、枝ごとに細かく色分けしながら書く。
マインドマップの教科書を読むと、色を使うのは右脳を刺激するため、みたいな説明が書いてある。
たしかにそういう意義もあるだろう。
ただ佐々木にとってはそれよりも、時間が経ってから読み返しても瞬時に理解できる、という意義のほうが大きい。
単色で書かれたノートやメモは、ほぼすべての文字を読み直さないと、理解できない。
要素ごとに色を変えてあるノートやメモは、わずかな文字が目に入るだけで、内容をほぼ瞬時に理解できる。
マインドマップを書くとき、枝ごとにいちいちペンを持ち変えるのは、めんどうだし時間がかかる。
だが後で読み返すときには、その労力と時間を補って余りあるリターンが得られる。
リバース武蔵が効いたクリスマスツリー?
2008年11月27日 木曜日
今伊勢丹の店内に飾ってあるクリスマスツリーは、見ていると妙に背中の身体意識を喚起される。

ツリーに巻いてある太いリボンが、裏側に切り込んでいく感覚を呼び覚ますのだろう。
高岡英夫先生の『丹田・肚・スタマック―自分の中の天才を呼びさます』に「リバース武蔵」という身体意識(体性感覚的意識)の解説がある。
剣豪宮本武蔵が、自分の背中、腰、もも裏から自分の頭越しに相手に向かう放物線の形で形成していた身体意識で、武蔵はこの身体意識を、戦闘時における敵に対して利用していただけでなく、平時においてもあらゆる対象物や出来事の認知に利用していたのだとか。
それは武蔵が描いた絵画にもあらわれていて、特に『枯木鳴鵙図』には、対象を自分の背中で認知する武蔵の身体意識が、典型的に表現されているという。
で、佐々木はあのクリスマスツリーを見た瞬間「リバース武蔵が効いている!」と思ってしまった、という話。
魔法の三時間
2008年11月26日 水曜日
ハイラム・W. スミスの『TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究』で「魔法の三時間」というコンセプトを知ってから、朝の3時間をより生産的に使えるようになった。
一日24時間のすべてを後悔なく、自分にとって満足のいくように過ごすことは難しい。
朝5時から朝8時までの3時間だけなら、なんとか自分の意思でコントロールできる。
自分にとって最も価値のある過ごし方を考えて、実行できる。
「魔法の三時間」をより充実させようとすれば、残りの21時間も自然と最適化されてくる。
朝5時からフル活動するためには早い就寝が必要だし、早い就寝を守ろうとすれば日中の過ごし方も決まってくる。
「魔法の三時間」さえ充実していれば、残りの時間はだらけてもいいし非生産的なことをしてもいい、と決めてしまえば、自分で自分のダメぶりを責めて無意味にネガティブになることも減る。
メッセージ一文字が達人への一歩
2008年11月25日 火曜日
高岡英夫先生の『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』に、地球の中心を意識し、地球の中心に乗るように意識しながら歩くというトレーニング方法が紹介されている。
このとき「地、地、地、地‥‥」と口ずさむように指示があるので、佐々木も外出するときは、できるだけ「地、地、地、地‥‥」と(周囲に聞こえない程度の音量で)口ずさみながら、地球の中心に乗る意識で歩くようにしている。
この「地、地、地、地‥‥」に限らず、高岡先生のメソッドには、身体意識(体性感覚的意識)を喚起するさまざまなメッセージが組み合わされていることが多い。
佐々木はこうしたメッセージをつぶやくとき、「メッセージ一文字が達人への一歩」と考えるようにしている。
このように考える効果は三つある。
一つ目は、忘れずにメッセージをつぶやく動機になること。
メッセージもメソッドの大事な一部であるにもかかわらず、つい面倒がって省略しがちだ。
二つ目は、トレーニングを続ける希望になること。
「千里の道も一歩から効果」と言ってもよい。
「達人になる」というのはあまりにも遠い目標で、ともすると希望が失われがちだ。
達人を目指すトレーニングの中でつぶやくメッセージの一文字一文字を、遥か遠い目的地に向けて歩む一歩一歩のイメージに重ね合わせれば、目覚ましい成果が一向に現れない現実にあっても、自分は間違いなく目標に近づいているのだという確信が得られる。
三つ目は、メッセージのクオリティが上がること。
達人になるという長期的な過程の中に位置付ければ、メッセージ一文字分の発声といえども、より効果的なものにしなければならない、間違った方向に向かうものにしないようにしなければいけない、と自戒せざるをえない。
嫌な気持ちを断ち切る
2008年11月24日 月曜日
嫌なことがあって、腹立たしい気持ちがなかなか消えないとき。
たとえば混雑した立ち食いそば屋でさんざん待たされた挙げ句に先に同じものを頼んだ人のぶんを間違えて持っていこうとして「そ~れ僕のなんですけど!!」とやたらとトゲのある声で抗議されたうえに「チェッ!!」っと露骨な舌打ちまでされたとき(一昨日実際にあった出来事)。
今記憶喪失になったとして‥‥これって取り戻したい記憶だろうか? と自分に問うてみる。
そんなはずもなく‥‥もっと大切にしたい記憶が、次々に蘇ってくる。
そうするとわりとあっさり、直前にあった嫌なことから気持ちを切り替えられる。
不愉快な気持ちを引きずらずに済む。
突然記憶喪失になったら、なんていうアイデアが浮かんだのは、ちょっと前に「パコと魔法の絵本」という映画を見たからなのだが。
ジンブレイド未だし
2008年11月23日 日曜日
昨日は運動科学総合研究所の講座。
自分のジンブレイドの実技について高岡先生から
「軸足のウナを使えてない。スォードの中心はウナ。ウナ・スォードを残して他を全部抜くというのができない。抜けないで残ってるから何も起こらない。それで“こっちに動かなきゃ”って思うからムリヤリ足を前に出すことになる」
と指摘していただく。
腰から下、足・脚の力を抜くというのが未だにできない。
そこをもっと対象化しないといけない。
(ジンブレイド、ウナ、スォードついては『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』に詳しい説明がある)
心ここにあらず
2008年11月22日 土曜日
スターバックスに入ってコーヒーを注文し、テーブル席に座って考え事に集中する。
しばらくすると、店員さんがトレーに何かをのせてウロウロしているのが視界に入る。
なにか時間がかかるものを頼んだ人がいたのかな‥‥などとぼんやり思っていると、その店員さんが近づいてきて、佐々木のテーブルの上にコーヒーを置く。
何やってんだろ。
お金は払ったのに、肝心のコーヒーを受け取るのを忘れてた。
「あッ‥‥も、申し訳ない」
と謝ると、店員さんは苦笑いを浮かべながら
「いえ‥‥」。
あー恥ずかしい。
自宅でもスーツ
2008年11月21日 金曜日
翻訳や執筆は自宅ですることが多い。
サラリーマンをやめて自宅で仕事するようになった当初は、いわゆる部屋着のまま仕事をすることが多かった。ジャージとかTシャツとかフリースとか。
部屋着のまま仕事ができることにある種の贅沢を感じたこともあったし、体を締めつけない方が脳への負担が少なくていいような気がしたこともあった。
もちろん単なるズボラというのが大きかったのだが。
だが部屋着はしょせん部屋着。
服装がだらけていれば必然的に思考もだらける。
思考がだらけていてはいい仕事はできない。
今は仕事をする時間になったら自宅でもスーツだ。
アイデアが浮かびやすいタイミング
2008年11月20日 木曜日
佐々木の場合、玄関を出て歩き始めてから1分以内にアイデアがひらめく確率が高い。
朝起きてすぐ「カラダをゆるめて美しく健康に ゆる体操」というDVDに合わせてゆる体操をしているときも、よくいい考えが浮かぶ。
いずれも、ちょっとメモを取りにくいタイミングだ。
外出した瞬間というのは目的地に向かって体を加速させていくときだから、それを中断してメモ帳を出すというのは、よほどいいアイデアでない限り躊躇してしまう。
ゆる体操のDVDも段階を追って体をゆるめていくように出来ているし、筆記具を出して紙に書きつけるというのもけっこう体が固まりやすいから、浮かんだアイデアは覚えておいて後で書こう、となりやすい。
で、そのまま忘れることが少なくない。
アイデアはメモをとりにくい場面でこそ浮かびやすい、とさえ言えるかもしれない。
そういえば脚本家の三谷幸喜さんは、シャワーを浴びているときにいいひらめきがあるから、行き詰まると一日に何回もシャワーを浴びると何かで言ってたっけ。
佳き一日
2008年11月19日 水曜日
一昨日はなんとツイてない一日かと落ち込んだが、ものは考えようだ。
携帯電話を置いて外出したときの不便さを実地に体験できてよかった。もう同じミスは繰り返さないだろう。
電車内に忘れたのが木剣・木杖程度のものでよかった。お客様の資料やデータを忘れたりしたらシャレにならない。いったいどんなとき置き忘れをするのかがよくわかった。それがわかれば、対策も立つ。
移動ルート選びの失敗も、どんなルートが不便なのかを知る勉強だ。
さて昨日は一転、佳きことの多い一日だった。
業務マニュアル製作でインタビューにうかがったお客様から、事業経営や集客についてたくさんのアドバイスをいただいた。
業務マニュアル製作というサービスの性格について、目からウロコの指摘をしていただくことができた。
インタビューから帰ると、新しいお客様からマニュアル製作の申し込みメールが。
うれしい。
新しいお客様からは、代金の支払方法に関するご意見をいただくこともできた。
弊事務所の<業務マニュアル3万円製作サービス>は、サービス内容と比較してかなり思い切った価格を設定しているので、そのぶん、支払方法についてはわがままを出させていただている。
ただ、最初の取引で顔を会わせる前から全額を振り込むのは不安というのもごもっとも。
なんとかいい方法を考えたい。
失敗の多い一日
2008年11月18日 火曜日
昨日は携帯電話を忘れて外出。
電車内でそのことに気づいて動揺したためか、武術の稽古に行くため持っていた木刀・木杖を車内に忘れて改札を出てしまう。
終点だったので、改札を出てから気づいてあわてて電車に戻り事なきを得たが。
携帯電話がないため、必要な連絡を取るにも一苦労。
ネットカフェを探して移動したり、公衆電話から電話を掛けたりするプロセスでも選択ミスの連続。
理髪店選びにも失敗。
「何とツイてない一日だろう!」と驚くやら落ち込むやら‥‥。
単なる偶然とかツキとかの問題ではないだろう。
危険を察知して回避する意識下の能力が、かなり低下していたのだと思う。能力が低下した結果として起きる失敗に引きずられて、さらに能力が低下する悪循環。
先週新しいホームページをアップするためにMAXに近いエネルギーを発揮した反動かもしれない。
もちろん悪いことだけの一日などあろうはずもなく、いいこともたくさんあった。
お客様との食事の約束をいただいたり。
家に帰ると『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第五巻』が届いてたり。
花柳寿惠小英さんの「藤娘」を見てきた
2008年11月17日 月曜日
国立劇場小劇場で開催された、第五十九回いづみ会舞踏公演を見に行ってきた。
お目当ては花柳寿惠小英さんの「藤娘」。
花柳寿惠小英さんは、佐々木と同じように高岡英夫先生の元で体をゆるめて身体意識(体性感覚的意識)を鍛えるトレーニングを続けて来られた方。
佐々木よりずっと先輩で、佐々木よりはるかに上のレベルまで行ってしまっている方だが。
花柳寿惠小英さんの舞踏を見ていると、人間の体ってすごい、女性の体ってすごい、と心から、というよりも体の底から思える。
まばたきするのも惜しいぐらいの気持ちで見入ってしまった。
ちょっとした動きの一つ一つに、自分の体に電撃が走るのを覚えた。
最後の決めの神々しい姿など、永遠にそのままの姿でいるべき珠玉の芸術作品そのものと感じられた。
課題はその解決手段と同時に発生する
2008年11月16日 日曜日
カール・マルクスは様々な名言を残している。
『経済学批判』の序言にある次の句もその一つ。
《人間が立ち向かうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに詳しく考察するならば、課題そのものが、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、または少なくともそれが出来はじめている場合に限って発生するものなのだ、ということが常にわかるであろう》
佐々木はこれを
「課題は、その解決手段と同時に発生する」
と要約して、座右の銘の一つにしている。
課題が存在すること自体が、その解決手段が(まだ気づかれていないだけで)既に存在していることの証拠なのだ、ということだ。
たとえば飛行機が存在しない時代に「どうすれば空を上手に飛べるのか」という課題は存在しなかった。「空を飛べたらいいなぁ」という願望が存在するだけだった。
この座右の銘のおかげで、とても解決できないような課題に直面したときでも、自分がまだ気づいていないだけで解決手段は必ず存在する、という確信が持てる。
少なくとも解決方法を探し求めている間は、絶望しないで済む。
外部から見たわかりにくさを内部で気づく難しさ
2008年11月15日 土曜日
弊事務所でもお世話になっているオーバーチュア(インターネット広告の運営会社)から、検索エンジン広告の利用方法を解説したパンフレットが郵送されてきた。

きれいなパンフレットだ。デザインにもお金をかけているのだろう。
ただ一部、いくら読んでも意味がわからない箇所があった。
たとえば次のような表現だ。
キーワードを追加する広告グループにすでに登録されているキーワードをもとに表示される関連キーワードリストから追加したい場合に選択します。
これだけのパンフレットを作るのに、まさか執筆者が書いた原稿をそのまま印刷ということはないだろう。
「内容に間違いがないか?」、「わかりにくい表現はないか?」と、社内で二重、三重のチェックをしているに違いない。
それでもオーバーチュアの社内では、誰もこの表現を意味不明と感じなかった。
それは、このパンフレットの内容をチェックした全員が、オーバーチュア管理画面の操作方法を「わかっている」人だったからだろう。
ある方法を「わかっている」人は、「わかっていない」人がどのように「わからない」かがわからない。
だから、「わかっていない」人でも理解できるような説明を、「わかっている」人がするのはとても難しい。
弊事務所のように、業務マニュアルを社外の視点から製作する業者の存在意義は、こんなところにもある。
「ボストン美術館浮世絵名品展」に行ってきた
2008年11月14日 金曜日
江戸東京博物館で開催されている「ボストン美術館浮世絵名品展」に行ってきた。
カスタマワイズ社長の村中明彦さんが、ブログで熱く推薦されていたので。
保存上の理由から通常は公開されていない貴重なコレクション約150点が、柵もない展示壁に延々と並ぶ。
思いっきり目を近づけて見られるのは嬉しいが、当然ながらガラス額に入れての展示なので、浮世絵が本来想定している鑑賞条件での絵肌は、ガラスの反射を差し引いて想像するしかない。
それでも、十分に魅了される展示だった。
「浮世絵初期の大家たち」→「春信様式の時代」→「錦絵の黄金時代」→「幕末のビッグネームたち」という時代順の構成で、浮世絵の洗練と革新が進む様子がよく見てとれた。
幕末期の作品は、構図の大胆さといい描写の躍動感といい、さすがに見事というほかなかったのだが、永谷園のお茶漬け海苔のおまけから外国人向けお土産Tシャツの絵柄まで、すでに何らかの形で目にしてしまっている作品が多く、いまひとつ楽しみきれないところがあった。
テレビやガイドブックでさんざん目にした観光名所に、実際に行ってみたときの気持ちに近いというか‥‥。
既知の作品ではなくても、その表現様式がすでにあまりに見慣れたものになってしまっているという意味では、それは同じことだった。
むしろ自分には、「春信様式の時代」のあたりの展示が一番楽しめた。
構図的には、まだ単純だ。基本的には中心に主題を描いて、主題の周りにあるものを周囲に描く、というパターンだ。幕末期の大胆さにはまったく及ばない。
この時代の作品群は、描写の精細さがすばらしい。初期の浮世絵の線は、まだあいまいで荒っぽかった。
それは、写実というのとは違う精細さだ。物理的な細かさではなく、感覚的な細かさとでも言うべきだろうか。
どんな部分でも細かく描くというのではなく、細かく描いて美しいところは細かく描き、細かく描いても美しくないところは大胆に省略する。そのメリハリに、たいへん心ひかれた。
携帯電話で声メモ
2008年11月13日 木曜日
今使っている携帯電話にはカメラが付いていない。
その代わり、ボイスレコーダー機能が付いている。
この機能、外出中に思い付いたアイデアを声で記録するのに重宝する。
アイデアは基本的には紙に書きつけているが、急いで歩きながら荷物で片手がふさがっているときなど、筆記がめんどうな状況もある。そういうとき、片手で操作できる携帯電話はありがたい。
公認会計士で経済評論家の勝間和代さんはICレコーダーに音声メモを吹き込んでいるそうだが、人通りのあるところでICレコーダーに自分の声を吹き込むのは、やっぱりちょっと恥ずかしい。
携帯電話のボイスレコーダー機能なら、留守番電話にメッセージを吹き込んでいる姿と区別がつかないので、あまり恥ずかしくない。
‥‥多分。
録音が済むと自動的に保存されるように、設定をカスタマイズしてある。
録音したまま忘れないように、携帯電話の音声メモのチェックを、オンラインタスク管理ツール「RTM」に登録もしている。

内田樹さんの本をよく読む
2008年11月12日 水曜日
フランス現代思想研究者で評論家の内田樹さんの本を、最近よく買って読む。ほぼ毎日更新されるブログも、楽しみにしている。
内田さんが書いたものを読むと、自分が想像もしていなかったものの見方に気づかされる。
世の中の風潮に惑わされないように、自分にとって満足のいく人生を送れるようにと、自力で培ってきたつもりの考え方が、実は、特定の人々にとって都合がいいようにできている考え方で、自分を豊かさから遠ざける考え方だった、ということを、内田さんはしばしば気づかさせてくれる。
「他人に依存しなくても生きていける状態はそうでない状態よりも貴い」とか、「仕事を選ぶときは自分の適正とかやり甲斐を重視すべきだ」とかいう考え方も、内田さんのエッセイを読むまでは、ほぼ疑いなくその価値を信じていた。
今内田さんの文章は、中学校から大学までの入試問題に使われることがとても多いのだとか。
少年少女時代の受験勉強で読む文章がその人の考え方に与える影響は、自分の経験に照らしても、決して小さくないと思う。
内田さんの文章を真剣に読み込む受験時代を送ってきた子どもたちがエリートになっていく社会というのは、なかなか希望の持てる社会であるような気がする。
サービス体系とホームページを全面改訂
2008年11月11日 火曜日
ここ数か月取り組んできた、ビー・ドキュメントのサービス体系とホームページを全面改訂する作業が、ようやく一区切りつき、本日、新ホームページをアップした。
日付も11月11日の1並びで、新しいスタートにふさわしく感じられる。
ジンブレイドのトレーニングを習慣化する
2008年11月10日 月曜日
身体意識(体性感覚的意識)を鍛えるトレーニングを、運動科学総合研究所の指導の下、もう10年以上続けている。
身体意識を鍛えるというのは、たとえば体の中を上下に貫く「センター」と呼ばれる意識や、自分の中心から対象の中心に向かって一直線に伸ばす「レーザー」と呼ばれる意識を強化することだ。
運動科学総合研究所所長の高岡英夫先生の著書でその存在を知り、我流でトレーニングを始めたのが1991年、20歳のとき、高岡先生が指導するワークショップに通い始めたのが1997年、26歳のときだった。
今は上級の講座に通っているが、上級ともなると、初級の講座でやるような基礎的なステップはごく短時間で通過して、すぐに高度なトレーニングに入ってしまう。
せっかく出席しても、基礎的なステップをうまく積み重ねられず、メインのトレーニングにうまく入っていけないことがある。
そういう基礎的なことは、ふだんから一人でやっておきなさい、ということなのだろう。
足裏から脚裏を上がっていく「ジンブレイド」と呼ばれる身体意識など、トレーニングのために積み重ねなければならないステップが多く、なかなか一人でいるときにやることがなかった。
しかしここ最近、ジンブレイドができていないために講座の内容についてけいないことがあまりにも続いたので、意を決して、ジンブレイドのトレーニングを朝のルーティーンの中に組み込んだ。
きわめて難しいトレーニングを、十分な準備もなく、10秒ほどで終えなければならないので、意に満たないところだらけではあるが、その意に満たないところに向き合うだけでも、大きな意味があると思う。
(ジンブレイドを含む身体意識全般については、高岡先生の著書『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』に詳しく説明されている)
ホームページの改訂作業が快調に進んでいる
2008年11月09日 日曜日
ビー・ドキュメントのサービス体系とホームページを改訂する作業が、ここのところ快調に進んでいる。
サービスをもっと利用してもらいやすくする形の漠然としたイメージは、今年の8月には頭に浮かんでいた。
ところがいざイメージを具体化しようとすると、現実性や整合性のある形になかなかならず、暗闇の中でもがくような状態がずっと続いていた。
特に8月末に3日間の武術合宿に参加して帰ってきてからは、疲労で脳ミソが砂になったようになり、身動きさえも億劫な状態が1か月近くも続いた。
不思議なもので、そんな状態でもお客様から依頼があれば脳や体は勝手に仕事をしてくれたのだが、自分の事業内容の変革のような依頼も締切もない仕事に対しては、脳も体も頑として動こうとしなかった。
10月になってようやく重い脳疲労は解消されたものの、アイデアを具体化できない状態は相変わらず。
それでも手探りで形を作っては壊し、作っては壊ししているうちに、ようやく具体的な形が見えてきた。
形が見えてきたことで、作業の勢いも加速されてきた。
あともう少しで、新しいホームページをアップできそうだ。
『TQ 心の安らぎを発見する時間管理の探究』を読んだ
2008年11月08日 土曜日
『TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究』(ハイラム・W・スミス著、黄木信、ジェームス・スキナー訳)を読んだ。
これまでに読んだ時間管理に関するさまざまな本に登場していた考え方が、網羅的に書かれていた。この本がネタ本になっているケースも多いのだろう。
「いかに自分の考えが正しいか」を証明することだけに懸命になっている文章に特有の薄っぺらさが全体に溢れかえっている本ではあるけれども、学ばされることはいろいろあった。
「I形鋼の上を歩く」のたとえ話は、自分の命よりも大事なことがあることを、とてもわかりやすく教えてくれた。
他人を説得するために「“私は”というメッセージ」を使う話は、目から鱗だった。佐々木は他人を説得するとき、むしろ「“私は”というメッセージ」を避けていた。そのせいで相手の心を閉じさせていたケースも多かったと思う。
集中力について子どもに教えるために、子どもの手のひらに虫眼鏡で太陽の光を少しずつ集中させていって、日光がやけどするほど熱くなることにびっくりさせた、というエピソードも、とても心に残った。虫眼鏡で徐々に光を集中させるのと同じように、精神の集中力も、ぼんやりした状態から集中し切った状態まで少しずつ高めていけるイメージを持てたし、あるレベルを越えると突然「火がつく」というイメージも、集中力を高める努力に対する希望になった。
五つの要素かなる「リアリティ・モデル」は、自分自身の行動モデルとしては、いまひとつ実感できなかった。
フランクリン・プランナーのような表形式のスケジュール管理は、自分には向いていないと思った。自分には、マインドマップ式の放射型書式が合っている。
スタビロのカラーペンを買った
2008年11月07日 金曜日
紙の上でアイデアを練るときに使う太字のカラーペンを、新しく12本買ってきた。
「STABILO Pen68」という商品名のもの。
アイデア練り用のカラーペンは、太字のものと細字のもの、両方が必要だ。
太く強調して描かなければならないところもあるし、細かく文字を書き込まなければならないところもある。
それぞれ2セットずつ用意して、家用、外用としている。家用セットはトレーに入れて机の上に常備してあるし、外用セットはペンケースに入れて鞄に入れっぱなしにしている。
最近まで外用に使っていた太字ペンは、キャップが外れやすく、ペンケースの中ですぐにインクが乾いてしまった。
それで試しに買ってみたSTABILO Pen68が非常にいい具合だったので、家用セットの太字ペンも、すべてこれに切り替えた。
これまで家用に使っていた太字ペンは、描かれる線がモサッとしていて、使っていると自分の思考までモサッとしてくる感じがあった。
STABILO Pen68の線は、十分な太さがありながら、シャープさもある。使っていて思考がぼやける感じがない。
鉛筆のような六角形のボディも、頭をシャープにしてくれる。持って軽いし、ペンケースの中でキャップが外れることもない。
下の写真は家用セット。細字は無印良品の中性(ゲルインキ)ボールペン0.38。トレーは無印良品のメイクトレー。

こちらは外用セット。細字はユニボールシグノ極細。

静かなカフェで大声を出しながら勉強していた人に注意する
2008年11月06日 木曜日
スターバックスでコーヒーを飲みながら仕事のプランを検討していたら、向かいの席で若い女性が、英語のマンツーマンレッスンを、男性のネイティブスピーカーから受けていた。
テキストを朗読する女性の声の大きさが、静かなカフェにはふさわしくないように思われたので、「もう少し小さな声でもできますか?」とおだやかに注意する。
女性は「すいませんでした」と素直にあやまると、すぐ声量を落とし、熱心な朗読を再開していた。
佐々木も小さな頃から公共の場で、見知らぬ大人からさまざまな注意をしてもらってきた。
さすがにその機会は減ったとはいえ、大人になった今でも、佐々木のマナー違反を注意してくれる人がいる。
そのことに佐々木は、とても感謝している。
だから不作法が目に余る人には、できるだけ声を掛けるようにしている。
とはいえ、見知らぬ人にいちいち注意していたら身が持たない。
今回ほぼ躊躇なく声を掛ける気になったのは、佐々木自身が特に集中して考えごとをしたかったから、というだけではない。
相手の女性に、強い向上心を感じたからでもあると思う。
向上心に乏しい人間に態度や行動の変更を求めても、愉快な反応は期待できない。
わざわざネイティブスピーカーからマンツーマンで英語のレッスンを受ける、というだけでもたいへんな向上心だが、その女性には、よくカフェで見かける一般的な英会話学習者以上の熱意を感じた。
大きな声もその熱意の現れと感じられたのだ。
何に涙腺をやられるかはほんとに人それぞれ
2008年11月05日 水曜日
日垣隆さんの推薦で見た映画「容疑者Xの献身」は、推薦どおりの傑作だった。
日垣さんが以前個人メルマガで「泣ける映画」の第一に紹介されていた某ボクシング映画は、見てもほとんど泣けず、わざわざDVDを買ったのを後悔したほどだった。
映画でも本でも、人から「泣ける」作品として紹介されたものは、見ても読んでも、たいてい後悔させられている。
笑いのツボ、怒りのツボ、感心のツボ、学びのツボ、どれも人それぞれだろうが、最も個人差が大きいのは、感涙のツボだと思う。
笑いや怒りや感心は、本やテレビなどで得た知識をベースにしても起こる。
涙腺が決壊するほどの共感は、実体験をベースにしてしか起こらない。
実体験には、知識のような普遍性がない。
「歳をとると涙もろくなる」というのは、髪が抜けたりシワが増えたりするのと同じ、生理的な機能の低下の一形態であるかのように理解していた頃もあった。
それが実体験の豊かさの現れであることが、子どもの頃にはわからなかった。
「容疑者Xの献身」を見てきた
2008年11月04日 火曜日
映画「容疑者Xの献身」を見てきた。
ジャーナリストの日垣隆さんが、個人メルマガで「今年最高の傑作映画」と紹介していた映画。
映像の撮り方とかセリフの選び方とかがうまくて、そのうまさにいちいち興奮させられた。
決して「泣ける」映画ではなかったのだが、一か所だけ、泣けてしょうがなかったところがあった。
それは数学教師・石神が留置場に寝かされているシーンで、天井についたシミの点々が、石神の空想の中でチョークの線で結ばれて、数学上の「四色問題」を表す図になっていくところ。
学問に取り憑かれた人間の悲しさが(ストーリー上はそういう位置づけではなかったけど)、あのシーンにはありありと表現されていた。
抽象的な概念に魂を奪われた人間は、日常接するあらゆる事象を、抽象的な概念の問題として見てしまう。
その問題のしかたは、日常生活において問題にされるべきしかたとは、いつも大きくズレている。
天井に付いたシミは、日常生活においては、その位置関係において問題にされるべき性質のものではない。
「その程度や量が許容される範囲か」とか、「除去するとすればどのような方法で除去するべきか」といった観点でのみ、問題にされるべき性質のものだ。
そんなシミが、数学上の問題を構成する要素として見えてしまう。
そういう「周囲の人間とのズレ」が、生活のすみずみにわたって、24時間365日、死ぬまで生じ続ける人間の悲しさが、同じ種類の人間として身につまされてしょうがなかったのだ。
ハードルを低く
2008年11月04日 火曜日
ハードルを上げ過ぎない。
最初はむしろ、意識的にハードルを下げる。
楽々と越えられる高さに設定する。
低いハードルを楽々と越える経験を、一つ、また一つと積み重ねながら、少しずつ、少しずつ、ハードルを高くしていく。
これが、長く仕事を続けるコツなのだとか。
ブログを続けるコツも同じだろう。
3年前に趣味で始めたブログは、最初から気合を入れ過ぎて、半年も持たずに中断してしまった。
今度はそういうことのないように、要求水準を意識的に抑えながら、書き続けていきたい。
2009 SASAKI Ichiro. No Right Reserved.

