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手術後15日目
2009年04月30日 木曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から15日目。
前日とほぼ変わらず。
目が開き、視線が泳ぎ、目が合っても反応がなく、そのまま目を閉じて眠ってしまう。
手を握ると、握り返すような反応を見せはする。
手術後14日目
2009年04月29日 水曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から14日目。
前日まで装着されていた酸素マスクが外されていた。
輸液量をモニタリングする装置も外されていた。
左の鼻の穴からパイプが1本入っているが。
ほぼ眠り続けている。
途中、右脚をガクガクさせることが3分ほど続く。
帰ろうとしたら目を開けて、視線を泳がせる。
ときどき目が合うような気もするのだが、反応はない。
そのまままた眠ってしまう。
手術後13日目
2009年04月28日 火曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から13日目。
前日とほとんど変わらない状態。
前日には、ときどき右手を頭の方にやる動きをして、右手を握るとこちらの指を握り返したのだが、それもなし。
ときどき目が開いて、視線があちこちとさまよい、こちらと目が合うようにも見えるのだが、そのまま目を閉じてしまう。
ただ、マヒが心配される左半身も、触っていると、ときどき筋肉の動きが伝わってくる。
こちらが手を離すと表情が苦しそうになる気がして、しばらく繰り返してみたが、どうやら気のせいだった様子。
「また来ます」と声を掛けて帰ってくる。
手術後12日目
2009年04月27日 月曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から12日目。
酸素マスクは付けたままだが、血圧や脈や呼吸のモニタリング機器は外されていた。
点滴量をモニタリングする装置は装着されたままだが。
危ない状態は脱したということなのだろう。
細菌感染の現れとされる尿の濁りもなくなっていた。
(前日はひどかった)
右手でときどき自分の頭や顔を触る動きをする。
たまに目が開いて目が合うが、すぐに目を閉じてしまう。
手術後11日目
2009年04月26日 日曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から11日目。
担当医から病状について説明したい、との連絡を午前中に受け、正午ごろ病院へ。
昨日まで装着されていなかった酸素マスクやモニタリング機器が装着されている。
口を開けて大きく呼吸しながら眠り続けている。
執刀医の方が見えて、説明してくださる。
おしっこがきたなくなっている。体のどこかが細菌感染した模様。その毒が全身に回って、心臓の機能が低下し、血圧が急激に低下した結果、明け方にショック状態に陥った。現在は強心剤を点滴して、血圧は回復している。元になっている感染症を治さないといけないので、薬を強めにしている。それから、頭から血を抜く管を外したのだが、水がたまるので、今度は腰から管を入れた。血圧低下で意識が混濁していて、食事をしてもむせる可能性があるので、点滴に変えた。
以上のような説明を受ける。
執刀医の方の説明を聞いていると、本人が目を開け、右手で酸素マスクを外して何かを訴えるような目をする。話しかけても返事はない。
執刀医の方は、しばらく体の動きがなかったのが、また体を動かすようになったことに安心された様子。
酸素マスクは嫌だろうけど付けておいたほうがいい、と酸素マスクを元に戻して、退室された。
その後もしばらくそばにいると、本人が目を開け、酸素マスクの管に右手の指をからめながら、こちらを見て「あーーっ‥‥、あーーっ‥‥」と何かを訴える。
「痛い?」とか「苦しい?」とかいろいろ聞くが、うなずかない。そのまま目をつぶって眠ってしまう。
手術後10日目
2009年04月25日 土曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から10日目の見舞いに行った。
ときどき目が開き、目が合う。
だがこちらを認識している様子がない。
発話もない。
話しかけても、うなずきさえしない。
そのまま視線がそれ、目を閉じ、眠ってしまう。
その繰り返し。
記憶が失われているような印象。
左脚、特に膝から下が冷えていたので、しばらくさする。
さすっているうちに温かくなってきはきたが、こちらの左手から左肘に、嫌な冷えが移ってしまった。
病室を後にして、1時間近くは自分の腕が冷えたままだった。
手術後9日目
2009年04月24日 金曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から9日目の見舞いに行った。
3日前の造影検査の結果について、執刀医の方からレントゲン写真を交えての説明を受ける。
脳血管攣縮が少し起きていたので、薬による治療を行ったとのこと。
右内頸動脈の動脈瘤破裂だったので、左半身のマヒが心配されたが、今のところ左半身も動かしているのでその点は良い様子。
検査後は見舞いに来ても寝てばかりで、ほとんど言葉を交わしていない点について質問すると、言語中枢は(ほとんどの人は)左脳にあるので、問題ないだろうとのこと。まだきちんとした会話ができないのは熱のせいだろうとも。
少し安心する。
手術後8日目
2009年04月23日 木曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から8日目の見舞いに行った。
日中の見舞いだったが、やはりよく眠っている。
しばらくして目を開け、目が合う。
起きようとするような仕草をするので、止める。
ほぼ無言。
ときどき
「すっごいだるい‥‥」
「痛い‥‥」
と、ため息と共につぶやく。
こちらからの問いにはうなずくのみ。
薬で痛みを抑えているせいもあるだろ。
ちょうど脳血管攣縮の山が来ているせいもあるのだろう。
手術後5日目で初めて会話が成立したときは、
「あなた仕事は大丈夫なの?」
とか、比較的まとまった発話をしていたのだが。
少しずつでも状態がよくなっている実感を持てていたうちは、こちらの気持ちにも張りがあった。
病状の後退を感じさせられると、こちらも急に気が重くなる。
頭を空っぽにしたくなり、海岸に散歩に行く。

手術後7日目
2009年04月22日 水曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から7日目の見舞いに行った。
前日の検査の結果が良かったようで、集中治療室から一般病棟へ移動。
検査結果について担当医の方から話をうかがう約束をしていたのだが、佐々木が遅れてしまったため会えずじまい。
本人眠っていたため起こさず帰る。
手術後6日目
2009年04月21日 火曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から6日目の見舞いに行った。
今回は日中。
脳血管攣縮の程度を見るための造影検査の、直前に訪れる。
佐々木が着いたときは眠っていたが、検査なので起こされる。
これから検査と教えると、「何の検査?」と聞かれたので簡単に説明した。
しきりに「すっごく頭が痛い‥‥」と痛がっていた。
検査結果は翌日聞かせてもらうことにして帰ってきた。
手術後5日目
2009年04月20日 月曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から5日目の見舞いに行った。
ようやく会話が成立。
一昨日から看護婦さんとは簡単な会話をしたとの報告を受けていたのだが、佐々木が見舞いに行ったときは眠ったままだった。
第一声は「何で私入院してるの?」。
あまり状況を把握していなかったらしい。
しきりに「あーかったるい‥‥、あーかったるい‥‥」と言いながら脚を動かしたり触ったりしていた。
かなり順調な回復ぶり。
手術後4日目
2009年04月19日 日曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から4日目の見舞いに行った。
昨日よりもさらに落ち着いて眠っている印象。
いつもと同様、無理に起こさず、10分ほど体に手を当てて帰る。
看護婦さんによれば夕食も平らげたし、受け答えもしたらしい。
執刀医の方から説明を受ける。
月曜日に血管攣縮の山が来ると予想されるので、動脈にカテーテルを入れての検査を行い、検査結果によっては、現状点滴で入れている血管攣縮に対する薬を、管から脳血管に入れるとのこと。
手術後3日目
2009年04月18日 土曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から3日目の見舞いに行った。
前日には気管に挿されて固定されていた呼吸チューブが外され、口にかぶせるタイプの呼吸補助器に変更されていたが、今度は口にかぶせるタイプの呼吸補助器も外されていた。
看護婦さんの話では、今日は夕食をすべて平らげたらしい。
手を抑制しているベルトを外すとどうしても頭に手をやってしまうので、看護婦さんが口に運んでの食事だったとのことだが。
さらに、「おかゆおいしいです」とか、「足がだるい」とかの発話もしていたとか。
「得意料理は何ですか?」という問い掛けには「うーん」となってしまうので、まだ難しい会話はできない状態だろうとのこと。
佐々木が見舞ったときは眠っていたので、起こさずに帰って来た。
手術後2日目
2009年04月17日 金曜日
家族がくも膜下出血で倒れて、手術から2日目の見舞いに行った。
口から気管に挿されて固定されていた呼吸チューブが外され、口にかぶせるタイプの呼吸補助器に変更されていた。
昨日よりは、起き上がろうとする動きが少なく、呼びかけにもうなずく。
目は閉じたままだが、ときどきうっすらと開く。
執刀医の方にも会ったが、この段階としては良好な経過とのこと。
手術後1日目
2009年04月16日 木曜日
くも膜下出血で倒れた家族を、手術からほぼ1日が経過した昨夕見舞いに行った。
集中治療室で口には呼吸器を装着され、点滴などのチューブがつながれている。
目を閉じたままで、やや苦しそうに眠っているような顔ではあったが、手足は頻繁に頻繁に動かし、ときどきベッドから懸命に起き上がろうとする動作を見せていた。
安静が必要な状態ということで、危険防止のため、ベッドに手足をベルトでゆるやかにつながれていた。
大声で呼びかけると、目を閉じたままウンウンとうなずきはする。
意識がどの程度あるかはわからない。
ただ、「くも膜下出血としては重い方で、マヒが残ったり、場合によっては生命に関わる事態になる可能性もある」と聞かされていたので、「予想していたよりもずっと元気」という印象を受けた。
家族がくも膜下出血で倒れる
2009年04月15日 水曜日
家族がくも膜下出血で倒れた。
昨日夕方4時半過ぎに近所の人から搬送先病院の連絡を受け、夕方5時半前に病院に到着。
到着と同時に手術開始。
家族控室で待ち続け、手術が完了して執刀医の方の先生から説明を受けたのが夜12時半頃。
破裂した動脈瘤の根元をピンで止める手術は成功、ただし今後2週間は血管攣縮が起こり、程度によっては脳梗塞の危険もある、くも膜下出血としては重い方で、マヒが残ったり、場合によっては生命に関わる事態になる可能性もあるが、ベストを尽くす、良い方であれ悪い方であれ、安定するのは3週間後、等々を、CTスキャン写真と手書きの図を使ってわかりやすく説明していただいた。
たいへん紳士的で頼もしい方だった。
(執刀医の方が描いてくださった図)

普遍性と個別性
2009年04月14日 火曜日
業務マニュアルは究極のところ、「誰がやってもその通りにできる」ことを目指す。
一人一人の個人、一回一回の仕事が持っている「かけがえのなさ」は、業務マニュアルづくりあたっては、捨象されてしまう。
むしろそのような「かけがえのなさ」の捨象こそが、業務マニュアルづくりの前半部分(=執筆前のプロセス)の本質だ。
こうした捨象を職業としてやっていると、自分が日常付き合う一人一人や、自分が行う一業一業、自分が過ごす一瞬一瞬に対してさえ、いつのまにか、その「かけがえのなさ」を無視する癖が付いてしまう。
ふと気がつくと、目の前の人や物や、今この瞬間の機会や行為を、「この世にたったひとつの」とか、「もう二度とは訪れない」とかいった形容節をもって認識することを、怠っている。
だが実のところ、個別性は普遍性の捨象としてしか認識できない。
一人一人、一個一個、一業一業、一瞬一瞬の「かけがえのなさ」を捨象して、全体を貫く共通性を認識してこそ、共通性にはくくられない部分として、個別の「かけがえのなさ」が明らかになる。
だから本当は、個別の「かけがえのなさ」を意識して捨象している人間だけが、個別の「かけがえのなさ」を認識できるのだ。
分析の方向を、必要に応じて正反対に切り換えること。
必要なのはこれだけだ。
万歩計を忘れないように
2009年04月13日 月曜日
最近、万歩計を買った。
勝間和代さんが『効率が10倍アップする新・知的生産術』の中で
《何かの知的生産を行う特に、集中力を上げるために必要なものは、意志の力でもなく、スマートさでもなく、単純に体力です。》
として、体力づくりの習慣を助ける小道具の一つとして、次のように推奨されていたので。
《万歩計を普段使っているウェストポーチの中に入れっぱなしにする。すると、1日の移動距離を測定できる。1日5000歩未満しか歩いていないときには反省する》
なるほど使ってみると、歩くことへのモチベーションが、面白いように高まる。
万歩計を家に忘れて外出すると、なんだか損をしたような気分になる。
すんげえ、馬鹿げた心理だが。
で、万歩計を外出時に忘れないように、家の鍵のキーホルダーに付けてしまった。

「予算」という発想への違和感
2009年04月12日 日曜日
何度か書いたが、佐々木はある趣味のサークルで、会計を担当している。
このサークルもこの4月で年度が変わり、先日、無事に決算を終えることができた。
サークルの幹部に、けっこうな大企業でけっこうな地位についているらしい方が一人おられて、佐々木はこの幹部の方と、決算の過程で何度か話し合いを持つ。
最近、この幹部の方が貸借対照表の読み方(資産・負債・資本と黒字/赤字の区別と連関)を知らなかったことがわかり、佐々木はけっこう驚いた。
たしかに多くのサラリーマンにとって、日常の業務に会計の知識など不要なのかもしれない。
ただ、会計に関する入門的な本がベストセラーになるくらいのご時世だから、サラリーマンであっても「ビジネスマン」と呼ばれるクラスの人々であれば、収支と貸借の見方ぐらいは頭に入っているかのような幻想を、佐々木は抱いていた。
その方が決算で最も重視していたのが、「収入・支出の各費目における予算額と決算額の差」を明示することだった。
佐々木の感覚では、重要なのは「収支・貸借の月次および年次における推移」であって、「各費目における予算額と決算額の差」ではない。
「予算通りに支出したかどうか」を重視するということは、いわば「状況に応じた判断の放棄」を要求するということだ。
佐々木は業務マニュアルについて、「成功定義型マニュアル」と「行動規制型マニュアル」という区別を提唱している。
予算に対する考え方にも、「成功定義型」と「行動規制型」があるのではないだろうか。
役所や大企業の被傭者は、予算を「行動規制型」で考えがちだ。
これは、安定した世界でのみ通用する考え方だと思う。
もっと言えば、「国家の利益よりも省庁の利益」、「会社の利益よりも部署の利益」を重視する考え方でもあるような気がする。
正確と冗漫
2009年04月11日 土曜日

注意書きは短く。
これが原則。
「落書きは犯罪です」
でいいだろうに。
この看板のコピーを製作した部署に、
「自分の所有物への落書きは犯罪ではない。
したがって『落書きは犯罪です』では法的に見て不正確である。
警察や地方自治体が誤った法解釈を掲示することは許されない」
といった理屈をこねる人がいたのだろうか。
あるいは、市民から
「それじゃ何かい? 自分のノートに落書きしても犯罪なのかい?」
といったクレームが出ることを恐れたのだろうか。
漢文もいいもんだ
2009年04月10日 金曜日
今年の古典読破計画の第4弾として、本居宣長の『玉勝間』を読んでいる。
『玉勝間』は、本居宣長が64歳から72歳までに書いた随筆集。
言葉の正しい使い方やら、語源についての考察やら、古書からの抜き書きやら、儒教・仏教の悪口やら、地方の習俗やら、人の道やら、そのときどきの思い付きやら、とにかく雑多なテーマが、長さもまちまちに、延々と書きつらねてある。
こんな随筆のいったいどこが当時の人にウケたのか、一読したときは、さっぱりわからなかった。
だが何度か開いて読み拾ううちに、だんだんわかってきた。
この本、言ってみれば、当時の品格本なのだ。
態度や言葉づかいや生き方について、どうあるのが高雅で、どうあるのが低俗なのか? あるいは無粋なのか?
その判断基準を、物事の起源や由来や伝統を根拠に提供しているのが、この『玉勝間』なのだ。
「知らなきゃヤバいよ」的な動機で、この本は当時の人々に受け入れられたのだと思う。
で、この『玉勝間』、和文の中に漢文がポンポン挿入されていて、けっこう面食らう。
こんな風に。

最初は漢文のところはすっ飛ばして読んでいたのだが、思い切って漢文のところも文字を追ってみると、意外と内容が頭に入ってきた。
漢文ならではの「頭への入り方」というのがあって、これがなかなか心地よいものなのだと気づく。
ウナが内側過ぎた
2009年04月09日 木曜日
毎朝、DVDに従ってゆる体操をする前に、ウナ(足の裏で脛骨の真下にあたる位置)をボールペン(芯を引っ込めた状態のもの)の先で、ギューッと刺すのを日課にしている。
(ウナの位置については高岡英夫先生の『センター・体軸・正中線―自分の中の天才を呼びさます』を参照)
脱力した状態で立つには、「ウナで立つ」ことが重要だからだ。
で、今朝もウナを刺しながら思った。
どうも今まで、ウナの位置を、7ミリほど内側(正中線寄り)に作り過ぎていたようだ。
「外側ではいけない」と意識するあまり、過剰に内側に意識してしまっていた。
脛骨の中心というのを、正確に意識できていなかったのだ。
今でも、正確に意識できてる気がしない。
やはりウナは、脛骨の中心の直下にないと、ウナとして十分に機能しない。
うぐいすの声を聞きながら
2009年04月08日 水曜日
ここしばらく寒い日が続いたのが、急に暖かくなり、桜も満開。人々は公園に集まる。









かた・ほう問題
2009年04月07日 火曜日
「鈴木教授は、学生の面倒をよく見る方なんですか?」
という文の途中にある「方」という漢字は、「ほう」とも読めるし、「かた」とも読める。
「ほう」と読むなら、“教授たちの中では比較的よく学生の面倒を見るのか?”という、相対的な評価の問いになる。発言者は、鈴木教授を対等に見ている。
「かた」と読むなら、“学生の面倒をよく見る教授なのか?”という、絶対的な評価の問いになる。発言者は、鈴木教授を目上に見ている。
同じ漢字なのに、読み方によって、ずいぶんとニュアンスに違いが出てしまう。
書く側からすると、これはかなり悩ましい問題だ。
佐々木の場合、基本的に「かた」と読ませたい場合は漢字で「方」と書き、「ほう」と読ませたい場合は平仮名で「ほう」と書くようにしている。
だが、初見の読者にこのルールを認知してもらうことは難しい。
「ほう」と「かた」で違う漢字を当てるように、ルールを変更したほうがいいのではないか? と思ったりもする。
記憶を消す方法
2009年04月06日 月曜日
過ぎたことを、いつまで悔やんでいても仕方がない。
可能かつ必要な反省が済んだら、自分が犯した過ちのことは、もう忘れたほうがいい。
ではどうやって?
記憶というのは、消そうとして消えるものでもない。
ただ、記憶それ自体を消すことは難しくても、記憶の意味を消すことは、ある程度までは可能なのではないか。
たとえば
「私は悪いことをしました」
という文字列を
「ま私はをいたこし悪とし」
という風に並べ替えてしまえば、 文字自体は消えなくても、文字列が持っていた意味は消え失せる。
記憶の一片一片を、文に含まれる文字一つ一つにたとえてみれば、記憶の意味を消す方法も見えてくる。
記憶の一片一片をコンテキストから切断して、順序や位置づけを目茶苦茶にしてしまうのだ。
ゆる体操で自分の体のパーツ同士をゆるめることに習熟すると、自分の記憶のパーツ同士もゆるめやすくなる。
無意味な反論
2009年04月05日 日曜日
相手が何か考えを述べる。
その考えは、自分の考えとは違う。
そのとき、「私はそうは思いません」などと返しがちだ。
しかしこの応答は、たいていは無意味だと思う。
一対一のコミュニケーションの場で、「私はそうは思いません」という返しに意味があるのは、「あなたもそう思いますか?」とか、「あなたはどう思いますか?」と聞かれた場合に限られるのではないか。
相手の考えが自分の考えと違っていたとき、必要なのは、相手の考え自体を掘り下げることだ。
応答として意味があるのは、詰問ではない質問だ。
「たとえば?」とか、「~という場合も?」とか、「それは~ということ?」とか。
相手の考えの正しい面が明らかになったら、自分が考えを変えればいい。
相手の考えの誤った面が明らかになれば、相手のほうが考えを変える。
「ジャパンナレッジ」のコンテンツに『日本国語大辞典』が加わる
2009年04月04日 土曜日
月額1,575円で百科事典、辞書(国語、漢和、英和、和英、英英)、現代用語事典、人名辞典、会社四季報などをオンライン検索できる「ジャパンナレッジ」のコンテンツに、この4月から『日本国語大辞典』が加わった。
『日本国語大辞典』は、これまでは月額1,103円のオプションだった。「ジャパンナレッジ」とは独立のコンテンツだったので、他の辞書との一括検索もできなかった。
『日本国語大辞典』は、日垣隆さんが「座右のレファ本」としてかなり強く推薦されていたので、前から憧れてはいた。
《 プロとして文章を書く記者、ジャーナリスト、ライター、教師、研究者、法律実務家、議員、首長には、『日本国語大辞典』(15,750円×全20巻、縮刷版は9,240円×全10巻)は必備図書です。
古典などの文例が豊富で、1冊本の日本語辞書で行き詰ったとき、『日本国語大辞典』は必ず解決してくれるでしょう。
全10巻の縮刷版で充分です。新聞社や出版社や学校や議会にお勤めの方で、もし手近な場所に『日本国語大辞典』が揃っていないのであれば、上司に「これくらいは揃えて!」と掛け合ってすぐに入れてもらうか、上司がアレな人でしたらご自分で買うか、早めに転職されたほうが賢明です。
ちなみに私はこの辞書を、営業マンをしていた26歳のときにローンで買いました。日本人として、これだけ充実した国語辞典がある、ということは誇らしいことだと思ったのです。》(「ガッキィファイター」2005年8月23日号)
ただこれまではどうも、一般的な大辞典(『広辞苑』とか『大辞林』とか)を越える辞典の必要性を仕事の中で実感できず、たかだか月額1,103円を出し渋ってしまっていた。
お恥ずかしいことに。
これからはいつでも、心置きなく、『日本国語大辞典』の世界を堪能できる。
幸せ。
思考の順序で書かない
2009年04月03日 金曜日
叙述の順序は、分析の順序とは逆にしたほうが、わかりやすくなることが多い。
つまり、他人に読ませる目的で文章を書くときは、自分の思考の出発点を、冒頭に持ってこないほうがいい。
今、頼まれてインタビュー記事を書いている。
インタビュイーの発言も、発言の順序とは逆にして書いたほうが、わかりやすくなることが多いような気がする。
カール・マルクスは『経済学批判序説』の「三、経済学の方法」で、次のように書いている。
《あるあたえられた国を経済的に考察するときには、われわれは、その国の人口、その人口の諸階級への、都市、農村、海洋への、さまざまな生産部門への配分、輸出と輸入、年々の生産と消費、商品価格等々からはじめる。
現実的で具体的なものから、現実的前提からはじめること、したがってたとえば経済学では、社会的生産行為全体の基礎であり主体である人口からはじめることは、正しいことのようにみえる。しかしこれは、もっとたちいって考察すると、まちがい〔であること〕がわかる。人口は、たとえばそれをなりたたせている諸階級をのぞいてしまえば、ひとつの抽象である。これらの階級もまた、その基礎となっている諸要素、たとえば賃労働、資本等々を知らなければ、やはり内容のないひとつの言葉である。賃労働、資本等々は、交換、分業、価格等々を前提とする。たとえば資本は、賃労働がなければ、価値、貨幣、価格等々がなければ、なにものでもない。そこで、もしわたくしが入口からはじめるとすれば、それは全体の混沌とした表象なのであり、いっそうたちいって規定することによって、わたくしは分析的にだんだんとより単純な概念にたっするであろう、つまりわたくしは、表象された具体的なものからますます希薄なabstracta〔一般的なもの〕にすすんでいき、ついには、もっとも単純な諸規定に到達してしまうであろう。そこから、こんどは、ふたたび後方への旅がはじめられるはずで、ついにわたくしは、ふたたび人口に到達するであろう、しかしそれは、こんどは、全体の混沌とした表象としての人口ではなくて、多くの規定と関連をもつ豊富な総体としての人口である。第一の道は、経済学がその成立の過程で歴史的にとった道である。たとえば一七世紀の経済学者たちは、いつも生きた全体、つまり人口、国民、国家、いくつかの国家等々からはじめた、しかしかれらは、いつも、分析によって二、三の規定的な抽象的一般的諸関連、たとえば分業、貨幣、価値等々をみつけだすことにおわった。これらの個々の要因が多かれ少なかれ固定され抽象されるとすぐに、労働、分業、欲望、交換価値のような単純なものから、国家、諸国民間の交換、世界市場にまでのぼっていく経済学の諸体系がはじまった。このあとの方法は、あきらかに科学的に正しい方法である。具体的なものが具体的であるのは、それが多くの規定の総括だからであり、したがって多様なものの統一だからである。だから思考においては、具体的なものは、総括の過程として、結果としてあらわれ、出発点としてはあらわれない、たとえそれが、実際の出発点であり、したがってまた直観と表象の出発点であるにしても。第一の道では、完全な表象が発散されて抽象的な規定となり、第二の道では、抽象的な諸規定が思考の道をへて具体的なものの再生産にみちびかれる。そこでヘーゲルは、実在的なものを、自分を自分のうちに総括し、自分を自分のうちに深化し、かつ自分自身から動きだす思考の結果であるとする幻想におちいったのであるが、しかし抽象的なものから具体的なものへ上向する方法は、ただ、具体的なものを自分のものにするための、それを精神のうえで具体的なものとして再生産するための、思考にとっての仕方にすぎない。(『経済学批判』所収「経済学批判序説」)
F/I比(補足)
2009年04月02日 木曜日
「互いの認識の枠組みのずれ度」がコミュニケーションの快感に影響する、という話を一昨日書いた。
昨日は
《自分が相手の認識の枠組みに対して「おかしい」と感じているのに、相手は自分の認識の枠組みに対して「おもしろい」と感じる、ということは、基本的には起こりにくいのではないか》
とも書いた。
書いてから、反省した。
これらの考察は、「相手との『認識の枠組みのずれ』をおもしろがる能力」というものを、まったく考慮していなかった。
アウトプットしてみないと気がつかないことというのは、やはりあるものだ。
F/I比(2)
2009年04月01日 水曜日
他人に対して「認識の枠組みのずれ」を感じたとき、そのずれが「おもしろい(interesting)」と感じられるときと、「おかしい(funny)」と感じられるときがある。
「相手の認識の枠組みに自分も近づきたい」と思うときは「おもしろい」と感じる。
「相手の認識の枠組みに自分が近づきたい」とは思わないときは「おかしい」。
で、自分が相手の認識の枠組みに対して「おかしい」と感じているのに、相手は自分の認識の枠組みに対して「おもしろい」と感じる、ということは、基本的には起こりにくいのではないか。
もしそういうことが起こるとすれば、両者の間には「認識の枠組みのずれ」以外に、「認識のレベルの高低」が存在しているような気がする。
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